大和但馬屋日記

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川へはひつちやいけないつたら

コメント欄にyukattiさんより頂いた投稿の転載。

手持ちのちくま文庫宮沢賢治全集8、天沢退二郎氏の「本文について」解説(p.611)によると、「オツベルと象」。

  • 発表誌は「月曜」(大正15年)で草稿なし、本文は発表形が流布している
  • 題名は、発表誌が人の目にふれなくなったまま、全集本その他で「オッペルと象」として長い間親しまれたが、校本全集で正された。(この『校本宮澤賢治全集』は1973〜77年刊行。実弟の清六氏はじめ賢治研究者が編集者となり、賢治原稿を徹底的に検証し、文字の校異を綿密に行った「徹底的に原文に依った定本」で、その後の賢治作品テクストはこの校本全集を底本にしています)
  • 草稿はいっさい現存しないが、作者自筆の題名列挙メモ二種にも「オツベル」「オツベルと象」とある(「ツ」が促音か否かは明らかではない)。p.611

なるほど。タイトルのみならず本文中でも再三名前がでてくるのに表記が確定しないといふのも面白い。底本が確定してからも教科書によつては「オッペル」を採用してゐた様だし。因みに私の時は「オツベル」、五年離れた弟の時は「オッペル」だつた。一往「オッペル」説にも根拠はある様で、googleで探して見つけたのがこちらの説。

福武書店の木村昭平さんが描いた絵本の後ろに木村さんが書かれていました。1926年が最初にある雑誌で発表されたときは『オツベルと象』だったが、1934年に『オッペルと象』の名で出版され、長い間その題名だったのだけれど、近来最初の”オツベル”に戻った。
でも木村さんの調べたところではオツベルはどの外国語にもないけれど、オッペルの方はドイツ語のオッフェル(opfer)という語があり意味は「宗教的犠牲者」だ。賢治は充分ドイツ語に詳しかったからオッフェルからオッペルにしたんじゃないだろうか。
だから木村さんの絵本は『オッペルと象』なのです。

ただしこれはあくまで木村昭平氏が敢えて「オッペル」を選んだ理由であつて一九三四年版が「オッペル」表記になつた理由とは関係ないものと思はれるので要注意。
私個人が「ツ」を促音と考へる理由は、当時の仮名遣ひの常識内で「オツベル」を「オッペル」として出版されたことがあるといふ事実からも、さう読む方が自然だらうと判断できること。しかし賢治の言語感覚が独特であつた可能性もあるので、もちろん「これが正しい」と主張するまでには至らない。