大和但馬屋日記

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譬へ話の有効性

昨日の話*1にツッコミ頂載。

逆に、「例え話はまかりならん」と言われると「この人は、今している議論について、独占的な知識、経験を持っていて、それを使うことで、「議論の場」を「説得、もしくは宣言の場」に変えよとしているのではないか」と、自分は思ってしまいます。
そう、例え話って、「ある分野について、自分、もしくは一般人よりも知識、経験などで優位な立場にいる相手が、「相手側の論理」を振りかざして、相手側に都合のいい状況を作り出そうとしているとき」に有効な反撃手段となると、私は思っています。

想定されてゐる状況が少し限定されすぎてゐて今ひとつ私の理解が及んでない気がしますが、確かにさういふ局面もありさうではあります。ただ、それは論戦に勝つ(あるいは負けない)ための手法であつて、私が昨日の話の前段で示したやうな「自分の意図を読者に伝へる目的の文章で」といふ場合とはケースが異なると思ふのですが。
といふか、スウプさんの仰る様な相手が振りかざすその「相手側の論理」といふものの中身が、その相手しか知り得ない専門的な知識なり経験なりである場合もあれば、言外に含みを持たせた譬へ話である場合もあるわけです。結局それは相手を煙に巻くための手段であり、「意図を相手に正確に伝へる」努力を抛棄してゐることに違ひはありません。私はそこのところを注意すべきだと主張してゐます。
戦術的な効用としては昨日書いた「相手の神経を逆撫でするのに使へる」といふのと大差ない気もします。