大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

譬へ話について

先日もさうだけど、折に触れて「譬へ話はよくない」といふことを書いてゐる。
丁度id:yskszk:20040827にて触れられてゐることが、「ジャーゴン」を「譬へ話」に置換へるとそのまま私の主張したいことに重なるので、引用してみる。

初心者には理解しづらい事柄を簡潔に表現するには、たしかにジャーゴンは便利だ。しかしその場合も、「掲示板やブログのコメント欄で、意味不明な投稿や個人攻撃を目的とした投稿を繰り返すひとを、俗に『荒らし』と呼んでいます」のように、まずジャーゴンの指し示す対象を明示し、その後も「いわゆる『荒らし』は」のように、カギカッコ付きで表記するのが望ましい。

譬へ話でもこれは全くその通りで、「まづ対象を明示する」といふのが大原則であるべきだと思ふ。「AをBするのはCである。それはDをEするようなものだ。」といつた具合に、まづ主張したいことを述べてから、あくまで理解を助けるために譬へ話を付け加へるべきなのだ。それをすつ飛ばして「AをEするのはCである」とか「AはDである」とやつてしまふと*1、書き手としてはスマートで格好良い感じがするが、意図が読者に正しく伝はる可能性は確実に減じる。解釈を読者に委ねるのが望ましい文芸の世界ならばそれで全く問題はないけれども、読者に自分の意図を伝へる目的の文章でこれをやるのは控へ目に言つて効率が悪いし、極論すれば読者を意図的に眩惑するための悪質な方法ともなり得る。
それに、「AをBするのはCである。それはDをEするようなものだ。」式に主題と譬へ話を対比させるのを怠らなければ、その譬へ話が本当に状況にマッチするかどうかも自分でチェックできる。経験上、譬へ話だけしかない文章の場合、譬へそのものが的外れである確率が比較的高い様にも思はれる。しかし書いてゐる本人はスマートで格好いい自分に酔つてゐるから、多くの場合それに気付けない。文章の信頼性を上げたいならば*2、できるだけ譬へ話に頼らずにわかりやすく主題を伝へる気遣ひをした方が良い。といふか、すべきだ。もしもさういふ場合にあからさまな暗喩や「AはDである」式の言ひ切りが含まれる場合、つまり言外に含みを持たせてゐるやうな場合、その「含み」が悪意として受け取られる可能性が無視できないので注意が必要だ。逆に言へば、読者の神経を逆撫でしたければこれらの手法は極めて有効となる。その場合、譬へが的外れであつても一向に構はないわけであり。
くどくど書いたが、少なくともオレは気を付けることにしよう。
AとBとCの話をしてゐたはずが、いつの間にかDがEすることの是非を巡る議論になつてしまふやうな例もよく目にするが、といふか譬へ話による弊害のほとんどはこれのやうな気もするが、それはさすがに問題外としたい。

*1:アルファベットは先の例示に呼応している

*2:信頼性が求められる場合において