大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

日記といふもの

千年前に男もすなる日記といふものを女もしてみむとてすなりと書かれた最古のネカマ日記*1は世に公開された著作物だつた。同様のものは日記文学として一ジャンルを形成してゐる。だからといふのが妥当かどうかは分らないが、適宜覚書:内界の価値付けで取沙汰されてゐる人の目を意識し努力して書く文章を日記とは呼びません。といふことに対して、何故だらうと疑問に思ふ。DACさんが指摘されてゐる系列にそった記録としてのみの側面のみしか書かれていない。といふ辞書の定義で不充分なのだらうか。blogと日記の関係やフィードバックの可能性などに絡めて色々人により思ふところがある様だが、だからといつて日記といふ言葉の意味をわざわざ狭めなくともよい気がする。
ぶつちやけた話、書いた人が日記と言へば日記だ、くらゐの緩い認識で困ることがあるのだらうか。逆に自分は日記を書いてゐるつもりはないと言ふならそれは日記ではないのだらう。何にせよ努力云々は別次元の話だし、公開非公開は全く無関係だ。懸命に書かれた日記といふものもあるだらうし、あつて良い。日記が気楽でなければならないなどと、いつ決まつたのか。
オレの日記は書きたいから書いてゐるし書くからには読者を意識してゐる*2けど、日記以外の何かだと名付ける必要を特に感じないものだ。たぶんはてなダイアリーで書いてゐるから誰もこのことに異存ないだらうけど、はてな以前から形式は変らないしはてな以外のブログツールに移つても多分同じだと思ふ。
何といふか、一言で日記といつても日記文学や日誌、交換日記などメディアや用途によつて幅があるのだから、WEB文書として互ひに参照・言及され得るものといふ意味を加へたら良いのではないかと。日記も世につれ。
以上、あくまで「日記」といふ言葉の範囲内で思つたことでした。

*1:ネットぢやないけど

*2:もちろん記事内容によりバラつきはある