大和但馬屋日記

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データベース型消費

そもそも日本人はコンテンツのデータベース型消費を好んで行つてきた歴史がある。
スーパーカーブルートレインブームの時に、それらの本物に触れたり乗つたりした子供が一パーセントでもゐただらうか。もちろん憧れは憧れとしてあつたに違ひないが、端から乗れないとわかつてゐてもカウンタックと512BBのどちらが速いかとかあさかぜと富士ではどちらが偉いか*1を宝物だつたケイブンシャの図鑑やスナックのおまけのカードを根拠に論じあつてゐた*2のだし、戦時中の子供は武蔵と大和で、明治の子供は力士や幕末の志士をネタに似たやうなことをしてゐただらう。江戸時代の浮世絵版画集めまで遡れることはいふまでもない。
データベースそのものに萌えるといふのは極めて普遍的な現象だ。なぜなら、それは知識欲のある一面にすぎないからだ。これを果たして動物化と言へるかどうかは疑問だが、そもそもさういふ話なのかどうか知らないので話はここまで。
‥‥と思つたが、キーワード動物化の中にある日本的スノッブといふやつがこれなのだとしたら、やはりそのスノビズムは昨日今日培はれたものでないと言へるだらうと思つたことを追記しておく。悪文なり。
さらに追記。で、結局この悪文も「動物化」論をデータベース的に消費したにすぎないのであつた。笑へんなあ。

*1:どちらも答へがあるなら知りたいもんだ

*2:本物を根拠に、でないところが重要かも