大和但馬屋日記

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帰省中

東京駅にて

  • 0626銀座線浅草発0627上野着
  • 0628山手線上野発0636東京着
  • 0702東海道線東京発小田原行0928?小田原着
  • 0838東海道線小田原発沼津行0925沼津着。

ここで降り際に荷物を一つ車内に忘れ、回収してゐるうちに静岡行を逃す。

この辺は富士エリアだけど、生憎分厚い雲に阻まれて影も形も見えない。眺めが良ければ由比で降りて薩[土垂](さつた)峠で赤人の歌でも詠まうと目論でゐたのに、残念。
田子浦ゆ打出て見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける 山部赤人
何巻の何番か忘れてしまつた。長歌も怪しいなあ。
‥‥などと言ひながら、折角なのでやはり由比で下車した。レンタサイクルを借りて、まづは漁港を見物。港の外側を東名高速が走るといふ珍しい形だが、これなら高波の心配もあるまい。続けて薩[土垂]峠へ。たつた4km、自転車なら軽い軽い。などと思つたオレは度し難いバカだつた。行く先が峠であることの意味を全く分つてない。ていふか東海道第三の難所の意味すら分つてない。東名道も国道一号線も行き場を失つて海に張り出すやうな処なのだ。そもそもママチャリなぞ押上げる荷物でしかない。
汗水漬になりながら、それでも広重の絵で有名な見晴のいいポイントに達する。この苦労の見返りに富士が姿を見せるなんて出来すぎた話はないが、この地はいつか訪れたかつたのでよしとしよう。帰りは下りで楽々。由比はいいところだ。来て良かつた。

金谷で大井川鐵道の旧南海車輌と覚しき列車を見る。もし京阪3000系がゐたら思はず下車するところだ。危ふい。

  • 1335浜松着。

乗換の行先に米原の文字が見えたらもう勝つた気になるな。ここで昼食休憩。由比から立ちん坊だつたので疲れた。

しかし関西者としてはこんなので新快速を名乗るとは笑止。別に競争心からさう言ふわけではない。一時間に一本のみ、しかもたつた四輌の編成で始発駅からすでに半分が立客とは一体何だ。まるで利用するなと言はんばかりの仕打である。関西地区において新快速は「一本遅らせてでも乗りたい」と思はせるほど便利で魅力的な存在だ。JR東海は新幹線が偖かるおかげで在来線を軽視しがちとよく言はれるが、まるで信じてしまひさうだ。などと機嫌を損ねたので不貞寝。ぢやなくて、二時間しか寝ない上に体力を使ひ果して撃沈。名古屋を出て復活。
関ヶ原の辺り。日本史といへば古代(平城京の時代まで)と明治以降にしか殆ど興味のないオレだが、それでも周りの山山とそこに張られた軍陣を想像するくらゐはできる。山の形は今も昔も変らない。

最前部で狭軌の狂気を存分に愉しむ。パノラマカー並の前面展望と見られることを意識してキビキビした運転士の所作。これがサービスといふものだらう。大阪まで退屈することは一瞬たりともなかつた。素晴しい。
石山で京阪に乗換へて近江大津宮趾でも訪ねようかと思つたが、時間が遅いので断念。またの機会にしよう。楽しみは残しておくものだ。
淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば情もしのに昔思ほゆ 柿本人麻呂
夕空を背景に比叡山。目の前には近江富士。富士山は見損ねたが、これで満足。目に入る山の名前が大抵判るといふのはいいものだ。東京には山がない。
京都を出たところで特急「はるか」を追ひ抜く新快速。なんて不届きな。何人たりともオラの前は(略
大阪に着いて、18きつぷの旅第一弾は終了。真性の鉄なら環状線に乗継ぐところだが、オレは梅田から淀屋橋まで歩くのだ。途中、旭屋で「イリヤの空、UFOの夏」を確保。東京では買へなかつた。
梅新東の交差点で一号線の終焉を眺め、昼間の薩[土垂]峠を思ひ出す。あそこに繋がつてゐるんやなあ。信じられんなあ。

  • 1942淀屋橋発京阪準急樟葉行2002香里園下車。

帰宅。疲れた。明日は残りの行程があるのだがー。