大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

疚しさ

「疚しい」と書いたのは、やっている人をどうこう言うためのものではなく、やることそのものに、本質的な疚しさのようなものが伴うのではないか、という意味です。

しかしそこに「テーブルゲーム=大人」、「テレビゲーム=子供」といふ図式を当てはめて、その上ダメ押しの様に「疚しい」などといふ表現をされては、テーブルゲームを持ち上げる為にテレビゲームを貶めてゐる様に読まれても仕方がない。
まして、行為そのものに「やましさ」があるとはどういふことだらうか。短期的な快楽を求める奴は良心や倫理にもとるといふことか。
これが「さもしい」とかならまだ納得も行くのだが*1

テレビゲームがもっている、行為から結果を得るまでの時間が短い(ボタン押して何かなる)という性質

すべてのテレビゲームがその性質を持つてゐると言はれて感じる違和感は、「人生ゲームはゲームである」と言はれて感じるそれと全く同質だと思ふ。

*1:適切だとは思はないが