大和但馬屋日記

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vermilion::text 59階 (β) 「迷宮」

足を踏み入れた。
薄暗く,狭苦しく,黴臭い空気の淀んだその空間は,今までに見たどの階とも異なつてゐた。暗さに目が慣れてくると,その印象はますます強くなつた。
床には朱い煉瓦が敷き詰められてゐる。さう,まさにこの塔の名である「バーミリオン」そのものだ。壁は薄灰色の漆喰かセメントか,そんなもので固められてゐる。そのいづれもが妙に古ぼけて見える。床の煉瓦は角が丸く磨り減つて所々が欠けてゐるし,壁の漆喰もそこら中が朽ちて内側の石積を露にしてゐる。廃墟といふべきか,遺跡といふべきか,ともかく相当の年月が経つてゐることを窺はせる。天井は暗くてよく見えない。
誰がこんな風にしたのか。ごく自然に,そんな疑問が浮かんだ。誰がここにゐるのか。手の込んだアトラクションか。さういへば,遊園地のホラーダンジョンのやうにも見える。
ここはvermilion。いつから在るのか知らないが,少なくともこの五十九階は塔そのものよりも古くから在る様にしか見えない。外の気配は感じられず,それ故に風雨による風化でないことだけは明らかなやうだ。この淀んだ空気そのものが,石や煉瓦や漆喰を蝕んでゐる。そんな風にさへ見えた。しかし,それだけではない。何かがゐる。
煉瓦の磨耗は,何者かが歩いてできたものだ。所々欠けてゐるのは,何か硬いものが当たつたからだ。壁が崩れてゐるのも,何かがぶつかつた痕のやうに見えるし,中には焼け焦げた跡に見えるものもある。何かがゐる。
考へてゐても始まらない。とにかく歩き始めることにした。闇黒の迷宮の中へ。