根元まで行つて解体工事の標識を確認してきた。工期は二月一日から五月三十一日までだつてさ。
- 2007年02月02日 nobody キョダチク ソフィテル定点観測.
零時にほぼ南中する非の打ちどころのない十五夜。変なの。
今日は寒かつた。二月になつてやうやく今が冬であることを季節が思ひ出した様な感じ。まだまだ厳寒には程遠いが、まあそこまで寒くならなくても良いからね。自転車野郎として冬は嫌すぎる。寒いのが嫌なのではなくて、寒くても汗をかくから着る物に困るのだ。
鹿野司さん、川島隆太教授の「脳トレ」に疑問 - まんぷく::日記で採上げられたことから連想。鹿野氏のテキストの続きを楽しみにしてゐよう。
過去に自分が書いたことの引用。一本のゲームとしてのあのソフトを否定するつもりは毛頭ないよ、と予防線だけ張つておく。
結局のところ、「教育のためと称して持論を役立つものにしたい」といふ目的が先にあつて、片やゲームを有害と指弾した上でお手玉などが有効であるといひ、片や公文式に代表される反復トレーニングが有効だとしてその手段にゲームを利用してゐる。同じ穴の狢だ。オレの目にはさう映る。
あー、ワシは別に親に「脳トレ」を与へるべき不安を感じてゐる訣ではない、といふかそもそも「脳トレ」の脳に与へる効果なんて信じちやゐないです。「脳トレ」が脳のトレーニングになるならそれはお手玉も同じことなのであり、結局のところ「脳トレ」で鍛へられるのは「脳トレ」で良いスコアを叩き出すスキルだけだらう、と人のソフトで遊んだ後で思つた。
ワシ自身は前に書いた通り脳に関する理窟の胡散臭さとしては五十歩百歩だと思ふ。「脳トレ」がゲームとして面白いかどうかは全く別の話(面白いとは思ふよ)。
別に本職のライターさんが書いたこととワシの当て図法が重なつてゐたから「ほらみてみい」といふつもりは無いけれど(いや全く無いといつたら嘘だけど)(いや「ほらみてみい」はなんぼなんでも違ふよな、実験で実証されたわけではないただのポジショントークなのだから)、一ゲーマーとして「知育だから/流行つてゐるから」「肯定/否定する」云々とは違ふ意見を尻馬に乗つて置いてみる。
因みに両親に「脳トレ」をハードごと押付けて一年近く経つた。「どう、やつとんの?」と母に訊いたら「たまに。点けた時に出てくる年齢(初回判定時の脳年齢)が消えんのが好かん」と。「やつてへんのやつたら持つて帰つてええか?」「いや、置いといて」さいですか。まあ、世間的な動機があればうちの親でもゲームはするんだな、といふのが感想。この先ボケようがボケまいが「脳トレ」とは関係あるまいよ。
以上が事実認識。ワシがもやもやと思ふのは次の様なこと。
「脳トレ」を監修した川島教授の理論の妥当性はどこまで検証されてゐるのか。ゲームを媒体として広まつたからといつてこれを好意的に受け止めたり看過するのはゲーム脳理論を「科学的に誤つてゐるから」といふ理由で論難する側の行動として筋が通つてゐないのではないか。仮に「脳トレ」が科学的にトンデモだつたとしたら、といふ可能性は考慮されてゐるのか。
「ゲーム脳」も「脳トレ」も実態として波動グッズだのマイナスイオン商品だのあるある騒動だのと何ら変らない。ゲームソフトとしての「脳トレ」の商業的成功はゲーム業界にとつては一大事件だが、その良否とは別の次元であのソフトを検証する目が必要だとワシは思ふ。
あれこれ言はれてゐるけど萌えキャラ化してゐるのはむしろ鬼太郎ではないか。
といふか親父の声はまだ田の中さんなのか。