大和但馬屋日記

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朔日なのに満月だつた

零時にほぼ南中する非の打ちどころのない十五夜。変なの。
今日は寒かつた。二月になつてやうやく今が冬であることを季節が思ひ出した様な感じ。まだまだ厳寒には程遠いが、まあそこまで寒くならなくても良いからね。自転車野郎として冬は嫌すぎる。寒いのが嫌なのではなくて、寒くても汗をかくから着る物に困るのだ。

「脳トレ」とお手玉は結局同じなんぢやないかと前にも書いたなあ

鹿野司さん、川島隆太教授の「脳トレ」に疑問 - まんぷく::日記で採上げられたことから連想。鹿野氏のテキストの続きを楽しみにしてゐよう。

過去に自分が書いたことの引用。一本のゲームとしてのあのソフトを否定するつもりは毛頭ないよ、と予防線だけ張つておく。

結局のところ、「教育のためと称して持論を役立つものにしたい」といふ目的が先にあつて、片やゲームを有害と指弾した上でお手玉などが有効であるといひ、片や公文式に代表される反復トレーニングが有効だとしてその手段にゲームを利用してゐる。同じ穴の狢だ。オレの目にはさう映る。

あー、ワシは別に親に「脳トレ」を与へるべき不安を感じてゐる訣ではない、といふかそもそも「脳トレ」の脳に与へる効果なんて信じちやゐないです。「脳トレ」が脳のトレーニングになるならそれはお手玉も同じことなのであり、結局のところ「脳トレ」で鍛へられるのは「脳トレ」で良いスコアを叩き出すスキルだけだらう、と人のソフトで遊んだ後で思つた。

ワシ自身は前に書いた通り脳に関する理窟の胡散臭さとしては五十歩百歩だと思ふ。「脳トレ」がゲームとして面白いかどうかは全く別の話(面白いとは思ふよ)。

別に本職のライターさんが書いたこととワシの当て図法が重なつてゐたから「ほらみてみい」といふつもりは無いけれど(いや全く無いといつたら嘘だけど)(いや「ほらみてみい」はなんぼなんでも違ふよな、実験で実証されたわけではないただのポジショントークなのだから)、一ゲーマーとして「知育だから/流行つてゐるから」「肯定/否定する」云々とは違ふ意見を尻馬に乗つて置いてみる。

因みに両親に「脳トレ」をハードごと押付けて一年近く経つた。「どう、やつとんの?」と母に訊いたら「たまに。点けた時に出てくる年齢(初回判定時の脳年齢)が消えんのが好かん」と。「やつてへんのやつたら持つて帰つてええか?」「いや、置いといて」さいですか。まあ、世間的な動機があればうちの親でもゲームはするんだな、といふのが感想。この先ボケようがボケまいが「脳トレ」とは関係あるまいよ。

「ゲーム脳」と「脳トレ」について改めてまとめておかう

  • ゲーム脳理論をニセ科学と言つてブーイングする人たちが居る。一方、世の中にはゲーム脳理論を支持する人たちも多数居る。
  • 一方で、世の中ではニンテンドーDS用ソフトである「脳トレ」が一大ブームとなつてゐる。
  • 同じ「脳」をテーマにして居ながら、片やゲームを完全に敵対視し、片やゲームといふ媒体を得て爆発的に広まつてゐる。
  • 両方とも根源的なところでは「脳は使はれることで活性化する」といふ意味のことを言つてゐる(仔細に読んだ訣でないのでここは印象論)。違ひといへば「ゲームを悪者としてゐるか否か」でしかない。
  • ゲーム脳理論の方は科学的実験手法の杜撰さが指摘され、理論の妥当性が疑はれてゐる。ゲームが好きな人々からの感情的な反撥も招いてゐる。

以上が事実認識。ワシがもやもやと思ふのは次の様なこと。
脳トレ」を監修した川島教授の理論の妥当性はどこまで検証されてゐるのか。ゲームを媒体として広まつたからといつてこれを好意的に受け止めたり看過するのはゲーム脳理論を「科学的に誤つてゐるから」といふ理由で論難する側の行動として筋が通つてゐないのではないか。仮に「脳トレ」が科学的にトンデモだつたとしたら、といふ可能性は考慮されてゐるのか。
ゲーム脳」も「脳トレ」も実態として波動グッズだのマイナスイオン商品だのあるある騒動だのと何ら変らない。ゲームソフトとしての「脳トレ」の商業的成功はゲーム業界にとつては一大事件だが、その良否とは別の次元であのソフトを検証する目が必要だとワシは思ふ。