大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

はてなリングに参加

はてなリングといふものが何なのかさつぱり理解できてないのだが、既にhttp://fomula1.ring.hatena.ne.jp/が作成されてゐたのでF1グループ日記を登録しておいた。雑多な話題を扱ふid:yms-zunの根城としての当ダイアリーよりも目的意識のはつきりしたグループ日記の方が良いに違ひない。
しかしそれ以上何ができるのかとか、うまい利用方法がさつぱり思ひつかない。あれこれ試す時間も意欲もないので、しばらくはただ見てるだけ。たぶん、一年後くらゐにやつと「かう使へばいいのか」と気付くのだらう。F1グループの方がまさにそんな感じだし。はてなグループは日付単位で更新できる「日記」部分は全然重要ぢやなくて、キーワードにデータをストックすることに意味があると最初に気付いておくべきだつた。同様に、はてなリングにとつて重要なのは「F1のことが好きなオレが参加してゐること」ではなく、「F1リングを見ればF1関係のサイトをまとめて読むことができる」といふことなんぢやないのかな、と。で、さういふものを個人的なアンテナで作るんでなしに複数の人間で作ることに意味があるらしい、そこんところはまだよくわからんけど、といふのが現状のオレの理解。
2.0だか何だか知らないけど、リングにしてもグループにしてもmixiのコミュにしても、オレといふ個人の帰属意識を示す道具としてではなく、そこを見ればそれに関する話題を集めたり追ひかけたりできるといふことにこそ意味があるはず。

追記

http://gametalk.ring.hatena.ne.jp/に少し興味を持つてみたけれど、一番デカいタグが「非モテ」なのを見て参加を見合せた。悪いのは頁作さんでもmsrkbさんでもなく、はてなリングの設計。セクションカテゴリ別に登録できないなんて信じられんよ。

これも一種の「一部の人」メソッド

集団知」なるものをオレは信じてゐない。仮に優れた「集団知」の成果らしきものが形成された様に見えたとしても、それは結局ごく一部の優れた個人が生み出したものであるわけだし、集団が大きくなるにつれてその優れた部分は消えはせずとも、その他のどうでもいいものや劣つたものの中に埋没するに決つてゐる。はてなアイデアに振回された挙句、今や一部で退行すら見受けられるやうになつたはてなダイアリーの仕様を見るまでもない。
優れた(あるいは劣つた)知見を、それを言つた誰かに紐付けして見るのは「2.0」的ではないのかもしれないが、かといつて紐を全部切り落として知見だけをいくら転がしたところでそんなものはゴミ屑にしかならない。ゴミ屑が言ひ過ぎならばハイエナの餌だ。少なくとも日本の社会においてはさうだ。なんでもかんでも「みんなのもの」扱ひするのは結局ジャイアニズムと同じだ。
次のエントリに続けます。>[id:yms-zun:20051111:gianism]

  • 2005年11月12日 aqua39 『[はてな]』
  • 2005年11月11日 tomozo3 『[社会]悪貨は良貨を駆逐する。』
  • 2005年11月11日 uguisyu 『集団のある場所だから知が降りるっては思う。問題は祭的なネタを集団が何よりも優先させちゃうことか。』
  • 2005年11月11日 comnnocom 『[web2.0][集団知][ソーシャルなんとか]言いたいこと言ってくれた気がする。集団知って概念はどうもうさんくさく感じる。』
  • 2005年11月11日 crowdeer 『[HatenaDiary][意見]引:「紐を全部切り落として知見だけをいくら転がしたところでそんなものはゴミ屑にしかならない」ふむ。』

の続き

ひねくれない書き方で書くと

領域を限定すれば集団知は機能するだろう、ということ。そんだけ。

確かにさうでせう。といふか、如何なる領域であれ、結果の良し悪しに関らず集団知が機能してゐることにはなるでせう。
自分は集団知の存在を否定はしません。ただそれのもたらす結果が自分乃至自分の属する社会にとつて有益なものとなりうるだらうといふある種の楽観的な見通しに対して全く懐疑的である、といふ意味で「信じてゐません」。譬へるならば、「宝くじは確かに存在するしシステムとしてきちんと機能してゐるけれども買へば自分が当選するなどとは微塵も思はない」といふのと同じです。「領域を限定すれば〜」の仮定はつまり、籤の当選確率を上げれば云々、と同じといふことになるかと。tropyといふものについては何も知りません故ノーコメント。
もひとつ、こちらは焚書官さん向けではないシャドーボクシング。自分乃至自分の属する社会にとつて非常に有益なものとして機能したとして、それを集団知なるものの功績として評価してしまふのは、端的に言つて気に入らないな、といふのが「一部の人」メソッドとかジャイアニズムとかを持ち出して言ひたかつたこと。つか有益無益は関係ない。何らかの知見が、発言者から切離されて皆にワッショイされて一定の影響力を持つに至つたとき、それを支持する誰かに「なんでさう思ふの?」と問ひ質して「だつてみんなさう言つてますから」なんて答へがもし返つてきたら、オレは全力で脱力するだらう。もちろん世の中はさういふもので動くやうにできてゐるけれども、ことさらに「集団知」だのと名付けて有難がるほどのものでもなからう。

さういへば

しばらくゲーセンにも行けないうちにギタドタワーが終了してしまつたやうですが、などと言つてる間に次バージョン「ギターフリークスV2」がまもなく稼動とか。まだ全然「V」を遊び尽くしてもゐないのに、サイクル早いねえ。
自分で遊び始めてから初めて経験するバージョンアップだけに、楽しみでもあるが寂しくもある。初見のものに愛着があるのは当然だからね。

つうこんのミス

職場の便所の、トイレットペーパー受けの軸棒をなくした。水に流せる芯諸共流してしまつたらしい。
慌てて職場の向ひにある金物屋に買ひに行つたら、「もうそんなものは置いてない」とにべもない。今は両側から可動軸で支へるタイプが主流だからださうだ。成程言はれてみればそんな気もするが、オレの日常の生活圏*1にそんなものはないぞ。
ともあれ無いものは無いのだから仕方がない。当座の処置として割箸を適当な長さに折つて代用したが、何れなんとかしなくては。

*1:恰好つけてゐるが自宅と職場の二箇所だけだ