大和但馬屋日記

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劃期的マシン


一九九一年、ウィリアムズFW14。リアクティブサス非搭載のためノーズに餘計な突起がなく美しい。あればあったで格好良いのだけどそれはそれ。F1マシンのシェイクダウンの冩眞を見て大昴奮した經驗を味はつたのは、このマシンか最初だつたと思ふ。まあ前年のティレル019もさうだがあれはシーズン途中からだし後ろ半分は前年型のままだつたし。
このマシンは衝撃だつた。この冩眞は後期型のロングノーズだけど、シェイクダウン時のショートノーズの奇妙なデザインも含め、何故かわからないけれど「このマシンは絶對に速い、速くない訣がない」と確信し、事實その通りになつた。まあ序盤は信頼性がボロボロで成績は話にならなかつたけど。何だらうね、見た目の完成度といふか、それまでのレーシングカーの常識的に「速さうに見える」形とは全然異質の物に見えた。勿論前年までのレイトンハウスの格好良さによるニューウィへの贔屓目が大きかつたのは間違ひないが、しかしそれまでのニューウィらしさとも違つて見えた。「經驗あるパトリック・へッドがエイドリアン・ニューウィをうまく使ふとかうなるのか」などと、今にして思へば何を知つた風なことを言つてゐるのか自分でも笑つてしまふ樣なことも思つたけれども、とにかくそれまでの「勘と職人藝による速さうなマシン」ではなく、「理論と計算による速さへの最適な解」としての造形物がドンと目の前に置かれた感じがして、「これは今までとは違ふ」と思つたのだきつと。
車輪が六つある訣ではない、特別な構造やパーツが付いてゐる訣でもない、エンジンだつてただのV10で、セミオートマもこの年あたりからはそこまで珍しいギミックでもなくなつてゐる。マクラーレンフェラーリの様にヒロイックな形もしてゐない、ティレルやべネトンほどあからさまにノーズを持ち上げた訣でもない。見れば見るほど際立つた特徴はないのに、「他のどのマシンにも似てゐない」。この異質さが何なのかと考へるに、現在のF1に至るまで共通する「最適解を探るデザインのレースカー」の端緒となつたのだと思ふ。このマシンの登場をもつて、チャップマンやバーナードの樣な「天才による發明の時代」は完全に終つたのだ。ある意味、地獄の釜の蓋を開いたマシンとも言へようか。この年にデビューしたシューマッハーと共に、さながら「シューマッハー對ニューウィのマシン」といつた形での激しい爭ひの時代が始まつたのだ。