大和但馬屋日記

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朝三暮四


何の面白みもない中道つぷり。まあ日本の場合愛國者=右翼といふ雜な括りにもなりがちなので左右には大した意味はない。ただの氣に喰はぬ相手に投げつける爲の侮蔑語。左右を論ふ話には乘らぬが吉。
掛算の順序に關する議論の中で。
イメージとして袋3が先に来るか、2個/袋が先に来るかの違いで式の順序が変わってくる。その思考の過程が重要などと言ってゐるが、式のイメージとしてどちらを先に持つてこようが論理的正しさとは關係ないし、式の順序が變つても論理的正しさとは關係ないし、論理的に正しければ思考の過程など全くもつて重要ではないのである。
「朝三暮四」といふ言葉がある。猿に毎日の餌を與へる時に、「朝に三つ、暮れに四つやる」と告げたら猿が不平を言ふので「ならば朝に四つ、暮れに三つにしてやる」と言つたら納得したといふ故事である。結果が變らないのに目先の違ひに踊らされる猿竝みの知惠、といふ意味で使はれる言葉であり、失禮ながら今囘の話にそつくりそのまま當て嵌るので笑つてしまふ。
袋を先に數へようが袋の中身を先に數へようが、袋の中の林檎の數は變らない。それが掛算の大原則である。「たまたま答が變らなかつたかもしれない」なんてことは天地がひつくり返つても有得ない。これは有名な「詭辯の特徴のガイドライン」の一つ「有得ない假定を持ち出す」にも抵觸するし、「杞憂」といふ別の故事まで説明しないといかんのかといふ氣にもなる。
掛算の結果が順序によつて變ることがあるといふなら一つでも例を擧げてみるとよい。歴史に名の殘る大發見になるだらう。頼むから、小學校の教育を古代中國の寓話にも劣るレベルに下げさせないでほしい。