大和但馬屋日記

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昭和は遠く


着座式のアップライト筐體がズラリと竝んで、そのすべての畫面で對戰格闘ゲームが動いてゐる繪面なんて、昭和時代には「絶對に」あり得ない。何故なら、對戰格闘ゲームの一大ブームを作つた「ストリートファイターII」が世に出たのが平成三年の三月のことで、同年中に「ストII」の稼動を支へてゐたのはほぼすべてテーブル型の筐體だったから。稼動初期はそもそも二臺のテーブルを同期させた通信對戦すら活用されてをらず、他人と對戰する時には横に竝んで肩を觸れ合ひながら對戰するしかなかつた。「ストII」はたしかにブームになつたが、その時點では「澤山あるジャンルのゲームの中でたまたま賣れた一つ」にすぎない。だから、一つのゲームの對戰の爲にテーブルを二臺も使ふなんて能率が惡いと思はれたし、通信對戰といふ仕組自體が「ファイナルラップ」など一部の大型ゲームにしか使はれない珍しい技術でもあつた。「ストII」もまだ同キャラ對戰すらできなかつたのだ。
その年の夏以降にテーブル二臺を繋いでの通信對戦の形が普及し、冬あたりにやうやく今見る形に近いアップライト型の筐體が世に出囘りはじめ、翌年の對戰特化の「ストIIダッシュ」の普及とともにテーブル筐體が一氣に驅逐された。テーブル筐體がほぼ完全に姿を消したのはさらに下つてセガが「バーチャファイター2」を專用筐體とともに大量にリリースした後のこと。「對戰ゲーム」が一つのジャンルで大きな商賣になると業界が氣付いて、店内のシステムを一新するまでには少なくとも一年、全般的には三年はかかつた。先のツイートにある様な風景が完成をみたのはだいたい平成六年以降のことだと思ふ。
もう「ブラウン管=昭和」くらゐに歴史認識が歪んできてゐるのかもね。