大和但馬屋日記

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本質と飾りの違ひ


ガラケースマホかつていふのはその出自の違ひで分れるものであつて、端的には電話に他の機能を加ヘたものが所謂ガラケー、ネット端末に電話の機能を持たせたものがスマホであるといふ認識でよいと思ふ。スマホからすれば電話囘線はネット接續の爲に必要なものにすぎなくて、通話機能は副次的なオマケである。ネット端末であるといふのは單にネットに接續できるだけといふものではなくて、ネットを介してコンピューターのあらゆるリソースを利用できるといふのが存在意義に關はる第一の目標であり、ここがガラケーとは決定的に異なる部分であつた筈だ。
先のツイートの人の言ふGPSFelicaの樣な「ガラケーの機能」は飾りであり、電話に付けたその他の機能の一つでしかなく、携帶電話であるが故に必要なものでもなかつた。よく携帶するものにあれば便利な機能としてあつただけ。オマケ機能から見れば載つてゐるのがガラケーであらうとスマホであらうと關係がない。今はスマホもやつと所期の目的としての機能を一通り載せ終つたから、かつて電話にゴテゴテと飾つた機能をその時と同樣にスマホにゴテゴテ載せ始めたにすぎない。飾りは所詮飾りだから、それの有無が本來的な機能としての違ひを覆ひ隠すこともない。飾りに目を眩まされた人は多いのだらうが、飾り如きに先見の明も何もあつたものではない。
ネットにさへ繋がれば何だつていいんだよつて割切りに負けたのが「ガラケー」の正體。むしろその割切りに乘つかつて、ネット端末としてのスマホとただの電話の兩方を持つといふ「正解」が見出されてゐる。俺も既にスマホの定額プランは解約濟。使ひ易い「普通の携帶電話」があればそれに切換へるのも惡くはないと思つてゐる。電話は電話に立戻るのが一番いいのだ。