昨夜の何が大變だつたかといふとまあ色々あつた。
そもそも、映畫館に向ふ際に自轉車にサドルバッグを取付け忘れたのが事の發端。その中にワイヤーロックやチェーンロックが收まつてゐるので、忘れてしまつては自轉車を施錠できない。イオンモールの自轉車置場のすぐ目の前が自轉車賣場なのだがレイトショーの時間なので既に閉店してゐて、新なのをその場で調達する途は塞がれてゐる。途方に暮れつつ一計を案じ、チェーンの駒を外してそのチェーンでフレームを柵に縛りつけるといふ馬鹿な策を實行してしまつた。所謂「ミッシングリンク」を使つてゐるので、工具を使はず手で付け外しが出來るのだ。これで防犯になるかといふとならないが、氣輕に乘つて行かれることだけは防げよう。人里離れた田舎の深夜、まあ充分だ。
映畫を觀終へて自轉車置場に戻ると、果して自轉車は手付かずでそこにあつた。チェーンを繋ぎ直して歸るだけだと思つて作業を始めたら、ミッシングリンクのパーツの一つがない。どこにもない。周囲を探して囘つたが全く見當らない。もう眞夜中で日附も變ってゐて、中年男があまりゴソゴソしてゐて良い時間でもないので、パーツを探し出すのは諦めて自轉車を牽いて歸途についた。
タイヤがパンクした訣ではないので乘れない訣ではないことにすぐ氣付いて、チェーンの無い自轉車に跨つて地面を蹴つて、十四キロメートルの道を走つた。ペダルが發明される前の黎明期の自轉車、あるいは子供向けのストライダーの風情である。ストライダぢやないぞ。時速十數キロは普通に出るし、下り坂なら二十五キロくらゐ出る。道はほぼ平担で、何本か河を跨ぐ橋が主なアップダウン。やつてみれば解るがとにかくほんの僅かな起伏に對して大變に敏感になる。そのセンスたるやゴルファー竝ではないか、などとゴルフなどやつたこともない癖に思ふ。地を蹴る脚よりも、自轉車と體を支へる腕の方がより疲れた。何しろサドルが殆ど役に立たないので往生する。二時間くらゐ掛けてやつと家に着いた。
ここで話が濟めばまだ「色々」の内には入らないのだが、歸つて持物を檢めてゐると、あらうことかクレジットカードが失くなつてゐる。ちよつと盛り過ぎだ。これに關してはもういつどこでと詮索する意味もないのですぐさまカード會社に電話して停止と再發行の手殰きを行つた。最初に忘れ物をしてゐなければ何事もなかつた筈なのに、とんでもない連鎖があつたものである。まあそんな日もあるさ。
といふ訣で今日はクタクタで何もしなかったのである。