大和但馬屋日記

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昭和四十年代になぜああいつた百科事典が必要とされて作られたかといへば、それあ世の中の知的水準を一定の処に揃へておかなくては色々と不都合があるといふ認識が社会に浸透してゐたから、だらう。その良し悪しはさて措くとして。
東京オリンピックと新幹線と万博があつて、アポロ計画が終つてスペースシャトルに変つた辺りから驕りが出てきて、知的水準のフェイズが変つたんだらうなあ。もう皆一定の水準に「賢くなつた」ことになつて、テクニック的なことにばかり興味が向く様になり、基礎教養には誰も見向きをしなくなつた。テクニックだけで人は十分に生きて行ける。生きるだけならば。でも、生きるテクニックだけで皆が生きてる社会つて、所謂「後進国」と変らないんぢやないのかな。なんてことを考へた。