大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

データなし

大した日記のタネもないので正月に帰省した時に部屋の隅に見つけた古い百科事典のことでも。

昭和四十年頃の発行の本で、どうやら母が嫁入り道具として義理の兄に持たされたものらしい。その義理の兄、自分からすれば叔母の夫であるわけだが、島の小学校の校長を勤めてゐた人物で、父の担任教師でもあつた。狭い狭い。父からすれば子供の頃の厳しい先生(但し棲家は向ひ同士)が何の因果か「お義兄さん」になつた訣で、さぞややりにくかったらうなあ。自分にとつてはいい叔父さんであつたが、もう随分前に亡くなつてしまつた。
話が逸れた。そんな教師肌の叔父のくれた「嫁入り道具」だが、母はあまり読んでゐなかった様だ。読書好きではあるのだが、まあこれは腰を据ゑて読む類のものではない。子供の頃は無類の本好きだつた自分にとつても太刀打ちできるものではなく、存在もいつしか忘れてしまつてゐた。
で、適当な一冊を開いてみて内容に驚いた。これは成程、嫁入り道具として相応しい事典だ。生活に関するあらゆる事物について、微に入り細を穿つ様に問答形式で説明が為されてゐる。昭和四十年当時の平均的な一般常識が十分冊の本に凝縮されてゐる。この十冊の内容を把握すれば理想的な良妻賢母が出来上る。勿論、主婦に留まらない。当時の日本人に当然のものとして具はつてゐるベきだと誰かに望まれたであらう知識の通り一遍が網羅されてゐる。五十年後の今読んだつて遅くはないレベルで。

その中の第三巻、「言語生活」のカラー口絵。街角の写真は渋谷の交叉点か。落語家は言ふまでもなく志ん生だらう。電話交換手や訪問セールスなどは今では廃れた職業だが、ドラマの声優なんてものまで言葉の担い手としてクローズアップされてゐる。これ、ひよつとしてアテレコぢやなくて放送時の生当ての光景ぢやなかろうか。さういふ時代だ*1
写真を眺めるだけでも楽しいが、本文の方も興味深かつた。例へば「現代かなづかい」の内閣告示にかなりの紙幅を費やしつつ、反対意見があることにも簡単にではあるが触れてゐる。同様に「送りがな」の説明にも十分なスペースを割いた後で、現状抱へてゐる問題点や一意に正誤を決められるものではないといふ解説までがそれなりに丁寧かつ簡潔に附されてゐる。これらの項目の記述者として桑門俊成といふ人物が署名されてゐた。一往、ここに記して憶えておかうと思ふ。
じつくり読み込む時間は取れなかつたので、また帰省した折に目を通してみよう。今なら読み捨ての新書にすらならなさうな「常識」の貴重なアーカイブである。

*1:キャプションをよく見たらラジオドラマと書いてあった。当然生放送だらうと思はれる