大和但馬屋日記

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ちよつと話題になつてる無電柱化プロジェクトとやら。
〜上を向いて歩こう〜 無電柱化民間プロジェクト
またぞろ醜悪なプロジェクトができたものだ。例へばこれ。
北海道旭川市 無電柱化民間プロジェクト
田園風景の中に立つ電柱に架けられた一本の電線。なぜここにこんなものがあるのか。電線を必要とする設備がその先にあるからだ。電線の伸びる先に、人が生きてゐるからだ。この電線が不要だといふなら、つまりその先にある人の営みをすべて失くせと言つてゐるに等しい。電柱を否定するといふことは、その先にある自分でない誰かの存在を全否定するといふことだ。
「否、電線を無くせとは言つてゐない、すべて地下に埋設して景観を守れと言つてゐるだけだ」。電線が通せるだけの細い溝をスコップで掘つて、電線埋めて土を被せれば済むとでも。それで済むなら自分でやつてろ。空中架線一本で済むインフラの為に道路を掘返して地震や風雨に耐へる管を通して、数十年先にまたそれを掘返して膨大なメンテナンスコストをかけるのにどれだけ公共事業費を投入しなくてはならないのか。誰がそれを負担するのか。たかが観光客の写真映えを満足させるために、どれだけの環境破壊をしたら済むのか。自然の景観を守るために、そこで暮すのをやめろといふのか。
「電柱がなくなつて綺麗な景色」など大半は集客を目的とした商業地域であり、生活の息づく場ではない。金かけて電線を土に埋めても十分に元が取れる様な所ばかりだ。

残念ながら2本の電線が邪魔をしてしまっています。 新しく出来たスカイツリーと、昔ながらの浅草の景観。どちらも楽しむためには電柱や電線は地中にあったほうが気持ちが良いですね。

この写真の通りは数年前に街ぐるみでテーマパークのセットみたいな改装をして、昭和からの下町の街並みを台無しにして作つた観光客向けの空間だ。断じて「昔ながらの浅草の景観」ではない。元々浅草とはさういふ街だとも言へるしそれもまた営みの姿ではあるが、先の見方は剰りに浅薄だ。
かつてhttp://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20060731#distopiaで批判したサイトはその後すぐに消えてしまつたが、たぶんこれに賛同した連中と同じ顔触れが少なからずこちらにも居るのだらう。誰であれ、この様な他者の暮しを全否定して憚らぬ連中とはとても相容れない。
無電柱化民間プロジェクト委員紹介 無電柱化民間プロジェクト
を見ると片山右京だのデーブ・スペクターだのが名を連ねてゐる。もうね、レーシングミク関連のアイテム全部捨てようかと思つたわ。社会で一定のステータスを得てしまふと、日々を暮す人々の顔なんか見えなくなるんだらうな。