大和但馬屋日記

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自転車でかつて通つた高校まで行つてみた。家から二十五分程の距離で、高校生だつた当時は随分と長距離を通つてゐるつもりになつてゐた。
その頃の愛車はナショナルのランディオーネ、所謂「サイクリング車」といふ今では絶滅した種類の自転車で、まあ要するに「轟天号」だな。あれはブリヂストンのロードマンだつた様だが。たしかクロモリ製のフレームだつたそれは、とにかく当時の印象では大きくて重くて、そもそも運動が苦手で体育の授業が苦痛だつた自分にとつてあまり楽しい乗物ではなかつたといふのが正直なところだ。
それがまさか長じて自転車を楽しむ様になるとは夢にも思はなかつた。高校卒業と同時にランディオーネに乗ることもなくなり、ろくに手入れもせずに錆びるに任せてゐたのだから、今にして思へば勿体ないことをした。それといふのも、当時はリムやスポークにまでワックスがけをしないとすぐに錆びてしまふ様な代物だから、手入れ自体が面倒で仕方なかつたのだ。今なら大人の財力で工具もパーツも好きに揃へられるが、さういふ楽しみ様もなかつたし、他にやりたいことややるべきことがあつたしな。
そんなことを思ひ出しつつ、昔通つた道をすつかり忘れて*1随分道に迷ひながら母校に辿り着いてみれば、思つたよりもずつと近い道程だつた。
今になつて大阪や京都の街を走つて思ふのは、東京がやはり規模の大きな街だといふことと、若い頃の自分の行動限界が如何に小さかつたかといふことだ。当時も京都市内まで往復してみたり、「弱虫ペダル」よろしく日本橋の電気街まで電車代をケチッて自転車で通つて「ゼビウス」の下敷きを買つたりPC-6001mkII用の「スペハリ」を買つたりはしてゐたのだけど、さういふのが気分的に大冒険でなくなつたのは本当につい最近のことなのだよな。小さなことの積重ねで、随分と認識といふのは変るものだ。

*1:景色が変つてしまつたせゐでもある