大和但馬屋日記

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ガールズ&パンツァー」に無駄な尺なんてほとんどないのは百も承知で、故にこそ意図的にオミットされたのであらうと推し測りつつ、やはり描かれなくて勿体無いと思つたのが「親同士の交流」だった。
終戦の見物席で、秋山殿の両親、華の母と奉公人、麻子の祖母が同一構図に収まつてゐる。意図的にさうしたのは明らかで、そこにみほの母が居ない事情やさおりんの両親が一切描写すらなかったことを考へるとこれが精一杯で、ここで親の交流を描くのは蛇足でしかないのは解る。それでもやはり、「おお振り」で「部活をやつてゐる子供達の親同士の関はり」を描いた監督の手腕を見たかつたといふ欲の突張りを書き留めておきたい。
ほんの一カットでもさういふのが入ると、作品世界の中にコミュニティが出来て、世界が分厚くなるんだよね。登場人物の足許が確かなものになるといふか。物語の舞台が地に足のついてゐない「学園艦」であればこそ、その厚みは必要だつたと思ふ。浮世離れした「西住家」を際立たせるためにも、ね。