大和但馬屋日記

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yms-zun2012-07-09

昨日書けなかつたことども。

モーレツ宇宙海賊」最終話。最高の予定調和と大団円。判つてゐても楽しいものだ。心地良い半年間を有難う。
「モーパイ」が描かうとしたのは、大人にならうとして奮闘する若者が大人の側に着実に足を踏み入れるその様であり、しかしそれは屈折した「オトナ」になることを意味しない。「オトナの事情」を受容れつつも、事情の方を自分の側に引寄せる「強い」若者達を見事に描き切つたと思ふ。屈託がなさすぎる、世の中が能天気すぎる、事が都合良く運びすぎる、等々は幾らでも言へる。しかし、そこはそれ。若者も大人も、それをこそ目指すべきだらう。目を見開いて、前を見ろ。この作品が訴へるのは、畢竟さういふことなのだ。小狡いことばかり考へてないでさ。
最終回の俺の「ツボ」はといふと、元海賊船のオデット二世が当然の様に海賊の巣あるいは最後の戦場を目指してゐて、しかし光子帆船として当然の船足の遅さで全く間に合はなかつたこと。俺は戦闘のクライマックスでオデット二世が「ジャーン」と登場するまでは予想してゐたが、正直作り手を舐めてゐたと言はざるを得ない。参つた。だつてさ、「御都合主義と笑はば笑へ」の監督さんだもんよ。同じ台詞をぐりゅ姉妹が言つても、ちつとも不思議ぢやない訣で。
終つてみれば「正しい資質を正しく使へ」といふ、サトタツ版「ザ・ライトスタッフ」だつたなといふのが総じての感想。映画で鬱展開になんかするなよ。