ヲタの文脈なんてものが本当に存在するのかな、とか。それは「外の人」を仮想敵に仕立てるための詭弁ぽい気がするな。
村上隆の作品のほとんどには興味がないし一部の作品は嫌ひだけど、「S.M.P.Ko2 STRIKES BACK!」のフィギュアが出た時に自分の中で色々と理由をつけてそれを買はなかつたことだけは本気で後悔してゐる。思想に共鳴しようがすまいが、そしてどんなに後ろ指を差されようが、あれはあの時買つておくべきだつた。今更手が出る値段ではないし、それこそ今入手しようとしても「投機目的」の餌にしかならないだらう。なんて、ほらまた言訣してる。それがなんとも忌はしい。畜生。
Re:[id:usui_soup:20100907:p2]
さうですな、「S.M.P.Ko2 STRIKES BACK!」がエチルアルコールといふ喩へは適切だと思ふ。でもつて、ワシはスピリタスを好んで呑むんですよ。如何に世間的にゲテモノ扱ひされようと。誰がプロデュースして誰が造形したとかどんな意図が込められてゐるとか文脈の有無とか作品の出来不出来すらも関係なく、俺の前にアレが出されたなら、誰かに嗤はれようが馬鹿にされようが拒むべき理由はない筈だつた。自分にとつて、アレはさういふものでした。正直これに関しては誰からも理解や共感を得られないだらうし、それでも全く構ひません。これをしてオタクの業なんぞを気取るつもりはないですが、さういふものもあるといふ話。
「あそびにいくヨ!」第九話「いだいなるさいしょのあしすとろいど?」。このエピソードをアニメでやるとは思はなかつたので、まづ驚いた。やるにしても、どうせオリジナルのそれつぽい歌に変更されるのだらうと思つたから、「キャプテンフューチャー」の名前が出てきてまた驚いた。後半で本当に曲が流れて、もひとつ驚いた。ただしそちらは登場人物が歌ふといふ形だつたので、エンドロールで改めて元の歌が流れるのだらうと期待を高めてみたら‥‥ズコー。またカバー版ですか。そこは、やつぱりさー。大人の事情とか色々あるんだらうけどさー。で、探したら、やつぱりあつたので、消される前に見ておかう。
「どうしてこうならなかった」タグに同意。ここまでハードルを飛び越えて来たんだから、最後も華麗に決めて欲しかつたよ。
それはともかく、なんとなく抒情的に押し流した感はあるけれども、実際のところ一話分使つて何も起きてないですよ? この程度でイイハナシダナーで終らせて良しとするのかしら。これが「キャプテンフューチャー」だつたら同じ時間を使つてきちんと「お話」を見せてくれたと思ふんだけどね。エリスの葛藤がひとつの見せどころだつた筈なんだけど、ここまで二箇月かけてエリスとキャーティアについて何も描写してこなかつたから、感情移入する隙間すらない。エリスの独白だけで終らせていい話ではないでせう、それは、と。せめてエリスの台詞はラウリィの前で語られるべきだつた。それをラウリィが赦すか赦さないかといつたら赦すに決つてゐるのだけれど、そのオチが安直であるといふならそもそも手に負へる題材ではなかつたんぢやないかな。