闇黒日記
- 平成二十二年四月二十七日
- それは違ふ。確かに主觀的な話ではあるけれども、主觀の話だからと言つて單に「尤もらしい」だけだと言ふ事は出來ない。主觀的な事を話しても無駄だと言ふなら、良く出來た話も糞のやうな話も嚴密には區別出來ないと云ふ事になるし、小説の新人賞なんてナンセンスだ、と云ふ事にすらなり兼ねない。シェイクスピアが名作である事も大江健三郎がクズである事も「言へない」――「言つても實のある話ではない」と云ふ事になつてしまふ。
「実のある話にはならない」は流石に筆が滑つた。実があるかどうかは読者に委ねるべき事柄であり。失礼。
手書き入力とキーボードからの入力の比較では――前は俺も「手書き派」であつたのだけれども、よくよく考へてみると、入力された結果はデジタルである訣で、ならばアナログな入力方法の方が良い、とは斷定出來ないだらう、と、今はさう思つてゐる。タブレットで描いてビットマップなり何なりで殘すなら良いけれども、そこからテキストに變換するなら結局「餘計な手間」がかかるのは同じだ。最終的にテキストファイルなるデジタルデータに落し込む事を考へれば、入力はデジタルなキーボード入力でやる方が效率が良いとは言ひ得る。
闇黒日記
効率を持ち出されれば優位が消し飛ぶ。故に手書入力は絶対に一般的にはならない。それはそれとして、手書きの良い点として「アナログであること」は別に関係ないと思ふ。実態としてアナログではあるけれども、誰が書いても同じデジタルデータに収斂することにこそ意味があるのであり。見ための好悪に関らず、「文」或は「語」の持つ情報量は変らない。ならば人に見せるのは憚られるやうな悪筆ででも「書きつける」ことができる手段があるのは良いことだ。
最も理想に近い入力ツールとして はWind。wsJ。いrna1とし)ふものが あるが、残念ながら、これはまだ 使ひものになる段階にはない。 この様に思ひつくままに字を書いて、 テキストに変換しようとした結果 がかうだ 一 O
おや? 思つたより悪くないな。ラテン文字が交ると辛いが、日本語だけならばほぼ完壁ではないか。XP時代のWindows Journalが重い上にまともに変換してくれるものではなかつたので、Vistaになつてからは存在を無視してゐた、といふかそもそもインストールされてゐることに気付いてすらゐなかつた。これなら少し使つてみようといふ気になるな。技術の進歩はかういふ所にこそ使はれるべきだ。どうせ人間側の効率なんざ高が知れてゐる。
かういふ方面で技術を進歩させてゐるのがMicrosoftだけ、といふのが何ともアレだな。富士通がタブレット方面を早々に諦めて投げ出してから、日本の技術には期待できなくなつた。