大和但馬屋日記

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yms-zun2009-12-04

否、感情からくる否定ではない。Google日本語入力が齎すのは言語の破壊だ。俺はその存在意義を原理的に邪悪なものとして根底から否定する。変換性能の良し悪しや意外な候補が出て面白いとかさういふレベルの話はどうでもいい。これに比べれば大昔の単漢字変換辞書の方が遥かに優れてゐる。

触る気もしないものを触りもせずに文句言ふのも勝手だから勿論さうするつもりだつたが、ひとつ気になることがあつてインストール。ある単語を入れて変換候補を見てみた。さすがにそこまで気狂ひ染みた仕様ではなかつたか、と安心してアンインストールした。しかし将来的に、胸囲と入れて如月千早と出ない保証はないのだ。ネタで笑つて居られる内はよいが、この種の「クラウド」的な仕組が語彙の選択を誘導する様なことが許されて良い訣がない。しかもそれが辞書作成者の取捨選択ではなくGoogleアルゴリズムによつて抽出された「世の決定」なのだとしたらどうだ。それで決定的に不利益を被る個人が出てきたときに、その人は一方的に押し潰されてしまふ以外にない。語彙の選択レベルでその様な事が起こる仕組に対して、無邪気に遊ぶ気になど到底なれるものか。