大和但馬屋日記

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yms-zun2008-05-14

スクリプトが生み出すドラマではなく、AIが生み出すドラマこそ、自分の考えるゲーム的リアリズム : ARTIFACT ―人工事実― あへてプレイヤーのゲームへの関はり方を乱暴に分類するならば、スクリプト型ゲームは「鑑賞」でありAI型ゲームは「体験」なのだらう。どちらが優れてゐるといふ訣ではないし、双方の歩み寄りや要素の混在はあるとしても。両者がどう違ふかといふと、行為としての「鑑賞」は他者と共有できるが「体験」は自分にしかできない、といつたあたりだらうか。よくある「ゲームらしいゲームとは何か論争」も、「鑑賞」と「体験」の切り分けでどうにかできさうな気がしたが面倒なので自分ではやらない。いや、嘘。手に余るのでようやらん。

「鑑賞」と「体験」の関係性も難しいな。「鑑賞」は大きな意味での「体験」の一部に属する。一方で、「鑑賞」は「体験」の上に被さる準備行動とも考へ得る。理屈の付け方次第で好きな様にメタ化できるので深く考へるのは止さう。

テレビで近日開業予定の東京メトロ副都心線を採り上げて、千駄ヶ谷周辺の取材をしてゐるのを見て「なんで副都心線千駄ヶ谷?」と不思議に思つた。千駄木と混同した。未だに山手線沿線近傍のことは全然分らん。

  • 2008年05月15日 kanose 反応