大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

怒るか否かは個別の事象

レイストーム4面のレーザーが許せない大和但馬屋さん的には、例えばグラディウス脳味噌前のシャッターや沙羅曼蛇の脱出時のシャッター辺りは如何なんだろう、とか考えると興味深い。

whirl -> 200802

その辺を初見で体験できるほどの一線級ゲーマーではないので、自力でそこに辿り着く頃には「どう動けば死なないか」を知識として知り尽くしてゐたからそれはさういふものとしか。
オメガファイブ」を擁護した後に「レイストーム」を例示したのは、自分のなかに「怒る/怒らない」の明確な分水嶺がある訣ではないといふつもりでした。極端な話、その時の虫の居所に左右されてるだけかもしれない。
レイストーム」の場合、たぶん四面に辿り着くまでに不満が鬱積してたんですよね。「なんかしらんが面白くないなあ」と。まあ理由は色々あつて。で、とうとう四面のアレに出喰はして、「ああ、もうどうでもいいやこのゲーム」となつたと。実際、あの先にどんな画面があつてどんな敵が出てくるかとか全く知らないし、興味が無くなつた。たぶんそれだけのことなんですよ。
あと、巧い人の超絶プレイを見てやる気をなくす場合もあるかな。「斑鳩」なんかはまさにそれ。「かういふ風にすればクリアできるんだ」といふ感動が全く無い。「クリアするにはここまでやらんとあかんのか」としか見えない。たぶん、シューティングに興味の無い人はシューティングゲーム全部をさういふ風に見てるのだらう。音ゲーもさうかな。
なんとかの壁つてやつを自分で作つてるだけなのだらうけど。「アルカノイド」コントローラを使つてコナミが「謎の壁」作らないかな。
といふか、自分の中に基準がないなら他人の感想にぶつぶつ言ふのをやめるべきだといふか書き方を考へるべきだ。自戒。