つーかさ。日本人がウケを取ってる時に同じ日本人が「日本人スゲェ」くらい言ったっていいだろうに。誰かを貶めてるわけじゃなし。身内を褒めるのがいつからそんなに醜い行為になったのよ(鼻につく、くらいならまだしも)。
r-fukai's Diary ausf blogger: 一般的ペイントツールやメガデモでは自由度が高すぎる
身内を褒めるのは別に醜いとは思はないけれども、自分の功績でもないのに「日本人であることを誇りに思つた」などといふコメントがニコ動やはてブに付くのを見ると、鼻につくでは済まない感情は起きますね。虫唾が走るは大袈裟だつたかもしれないけれども、その中間くらゐには。
それは喩へるなら「オリンピックで日本がメダルを何箇取つた」が「日本人スゲェ」に転化しても鼻白んでしまふのと同様で。それは日本人が凄いのではなくその選手が凄いんだらう、外国人から見たらそれは「日本人」で括られて当然だけども、日本人から見れば他人なのだし。
他人だから冷淡にせよといふ訣ではなく、もちろん多少なりとも仲間意識は生じるし仲間なら応援もするし、仲間が誉められれば自分だつて嬉しいといふ気持ちも分る。でも、件の話での「日本人スゲェ」は、やはりショートカットしすぎだと思ひます。応援すらしてないぢやん、自分で「Forza2」買つて遊んだ訣でもなく、今ニコ動で初めて知つたばかりぢやん、で、何いきなりその当事者気取りのコメントは? みたいな。「今すぐ箱○本体買ってくる」みたいのは仮令嘘でもニヤッとしますが。
上に引用した以外のことについては、
- 例へば「マッチ捧で城の模型を作る」といつた様なアートが日本固有のものとは思へない
- 昨日経緯を書いた通りで、たまたま幸運なことに日本での盛上りが外国人の目に留る機会があつて良かつたね
- でも日本人の知らないところで他にいろんな凄いものが出来てるよねきつと
といふのが私の思ふ全てであります。「Forza2」で日本人の活躍できる場があつたのは事実。自分自身、それを内側から楽しんでます。それあもう周囲に如何にも見せつける様に。でもそれが「俺スゲェ」とか「日本人スゲェ」には、どうしても繋がることはないでせう。
追記
あ、「全て」とか書いた後で見苦しいけど付け加へ。
「制限のあるツールであそこまで」といふ文脈でまづ称えられるべきは「Forza1」で「ガリガリ君」等を作つた職人氏。あの「手本」がなければ今のムーブメントは絶対にない。よき先導役に恵まれたことと、その後を育む文化的土壌が日本にはあつた。ここだけは何度でも強調したい。NIKKEI NETの記事を自分は「分つてねえ」と批判したけれど、例示としてガリガリ君カーの画像を挙げたのは知つてか知らずかに関らず最も正しい選択だつたと評価してゐる。
その後のムーブメントを大雑把に「日本人の特質」と纏めることには自分は抵抗がある。抵抗がない人は、まあさう言ふのでせう。
id:yms-zun:20070715#audienseに続く。
- 2007年07月15日 setofuumi
- 2007年07月15日 nobody bm5283885 d:usui_soupさん経由.