大和但馬屋日記

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今日のゲーム(五月十八日)

LUMINES Live!(Xbox360,Q Entertainment)

今度はちやんと一周できたよChallengeモード。しかし一周もするとものすごく時間が掛る。同社の同時期タイトルの「メテオス」がどちらかといふと短期決戦型なのとは正反対だな。どちらがいいといふ訣ではなくて。
このゲームの場合BGMとのシンクロによつてゲームの長さが決るので、一周の長さは完全に固定といふところがある意味曲者。
さて、話変つて。
このゲームにはスキンといふものがあつて、それはPCアプリによくあるそれと同様にパネルの見た目とBGMが変るといふものなんだけど、まあ「テトリスDS」でレベルが上るごとに背景とBGMが変るのと同じだわな。
ただ、このゲームの場合BGMがゲーム進行を支配してゐる。各スキン毎のBGMのテンポに合せてブロックを消す走査線のスピードも変る。それによつてスキン自体の難易度が上下するといふのは容易に想像がつくことだが、何かそれだけぢやない気がするんだよな。
スキンの見た目とラインの速度が変るだけで、何故かこちらのブロックの積み方まで変つてしまふ。本当は変へてしまつてはいけないのかもしれないが、何故か変るんだ。不思議だ。

  • 走査線が速い面ではあまり積込みが出来ないから一瞬の判断で素早く2×2の塊を作る作業に追はれることになる
  • 走査線が遅い面では積込み易い反面、ブロックが消えるまでの時間がかかるので一回のスキャンあたりに落ちてくるブロックの数も多く、フィールドが埋まり易い

この様に大まかな二律背反があるのは分る。速い面では速い面なりの、遅い面では遅い面なりのフィールドの埋り方があるといふことだな。
難易度上昇と走査線の速さは直接関係ないから、速い曲の後に遅い曲が来ることもあるし勿論その逆もある。そもそも速い遅いは相対的な表現であり、スキン毎にテンポがまるで違ふ。
で、ここがたぶんポイントで、スキンが切換つた直後のフィールドは当然「前のスキンでさうなる様に積まれた山がある」状態な訣だ。その山に対して今のスキンのやり方で対処しなくてはならない、ひいてはそれがそのスキンの「特徴」として印象づけられるといふことではないかな。考へすぎか。
まあ、上手い領域に収斂するとそんなの関係なしにひたすら淡々とミニマムな山を積んでは消し積んでは消ししながら頭は全然別のことを考へる様になるんだらう。
とりあへず今のワシはここに書いた様なことを「面白い」と思つてるので、個々のスキンの好き嫌ひとかDLCで新しいスキンを、といふ欲とかはあまり強くは無いな。あ、でも後半に出てくるピアノつぽい雰囲気のスキンは好き。BGMと効果音の絡みがカッコ良すぎる。

オーディンスフィア(PS2,ATLUS,ASIN:B000NI3YN4)オーディンスフィア

買つたんスよ。RPGなのに「トラスティベル」が駄目でこつちがOKなのは何故と問はれれば、それはやはりアクションゲームか否かの違ひだらうなあ。「戦闘」と「それ以外」で見た目から操作から全部別になる類のはやる気が起きない。「世界樹」がOKなのはまた別。身勝手なもんです。
で、買つた。遊んだ。システム的にはそつくりそのまま「プリンセスクラウン」なのな。しかしまあそれにしても何だ。諸々の前提を全てスッ飛ばして言ひたいことが一つ。
こんなに美しいゲームは今まで見たことがない。
ワシにとつてはそれが全てだな。前作(と言つて良いのやら)「プリンセスクラウン」もさうだつたが、ハードウェア末期だから為し得るそのハードでのグラフィック表現の極限といふか。十年に一本出るか出ないか、つか前作から本当に十年経つてるやないか、みたいな。
映像として凄い訣ぢやない、リアリスティックな訣でもない。デモシーンだらうが何だらうが、カメラは決して横スクロールの書割り視点から離れない、キャラクターは奥行き方向に演出としても移動しない。
故にこそ感じるドラゴンの巨大さ、それに相対した時の恐怖。
キャラや背景一つ一つの描き込みが凄いとかアニメーションが細かいとか、さういふことはいくらでも言へる。しかしその総てをまとめて「ゲームの絵」として見せるのはまた別の手腕だと思ふ。最高の素材を集めたからといつて、それだけで動的に生成されるゲームの画面が美しくなる訣ではない。
スクリーンショットだけを見て「綺麗だね」とかそのうち誰かが作るかもしれないMADムービーを見て「カッコいい」とか思つて欲しくない。否、さう思つたなら是非実機で動いてゐるところを見るべきだ。複製されたビットマップイメージではなく、それが目の前で「描かれてゐる」その瞬間を見るべきだ。
ゲームはグラフィックだけぢやない。でも、グラフィックだけで押通せるゲームもあつていい。