大和但馬屋日記

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疑ふとか信じるとか

結局のところ拠り処にできるのは自分しかなくて、しかし何かに拠つてかからずに立てるほど自分は強くない。だつたらその矛盾の中でグルグル回るしかないぢやないか、と思ふ。下だけ見てグルグル回つてゐても仕方がないから自分の上に「何か」があるとは思ふけれども、それはWikipediaとかオリコンとか、さういふものではないよね。
結局の所、ワシが信頼するといふか「かなはねえよなあ」と思ふのは「時間の厚み」みたいなものかもしれん。それは「伝統はすべて受容れるべきだ」とか「正しい答は過去にある」といふ意味ではなくて、なんだ。えーとえーと、知らん。さう簡単に答が出てたまるか。
といふか、さういふものに簡単に答を出してみせる輩が一番信用できない。