大和但馬屋日記

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良い詭弁と悪い詭弁?

一昨日の日記の件についてはトラックバックにてご返答をいただいたので、以下は個人的な感想文。

改憲の是非

「自衛のための戦力」という詭弁とある通りで、現在の自衛隊憲法に反してゐるにも関らずその存在を容認するには詭弁や欺瞞を積み重ねる以外に方法はない。しかし、さうした詭弁が「あり」であるならば、他の詭弁を「駄目」とする訣にはいかない。例へば小泉政権による自衛隊イラク派遣だつて名目は「平和的な人道支援活動のため」であり詭弁と受け取られてゐるけれども、実際に戦闘行動に参加した訣ではないからこれは詭弁であるとすら言へない可能性がある。自衛隊の存在が憲法で認められてさへゐれば対外的に何ら恥ぢることなく活動が行へたのであり、実際さうあるべきだつた。「愚かなブッシュ政権に追従して云々」は全くの別問題。要は外交的判断として悪手しか打つ手段がない状態の中で、小泉政権が比較的マシと判断した手を打つたに過ぎない。あの時どの様な判断を下したところで日本政府は非難を免れ得ない状態にあつたらう。あれが最悪手であつたとするならば、その理由はまさに「憲法に反する状態を何重にも容認せざるを得なかつた」ところにある。日本が真当な国家でありたいと願ふならば、さういふ事態をこそ避けるべきであり、そのためには改憲が不可欠だと思ふ。
たつた一つの詭弁のみを「最大限に容認」し、他の詭弁は許さないといふのは、現実問題として有得ない。既に踏み越えられてしまつた一線を「最後の砦」とするのも不条理だと思ふ。あさりよしとおが「HAL*1」の第九話「ザ・臨界」において日本は安全神話に護られています。安心して生活しましょうと皮肉つてゐるのと同じで、もはや単なる言霊信仰にすぎないだらう。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。と書かれた憲法を戴く国家が現実に戦力を保持し、海外派兵まで行つてゐる。周辺国家の感情まで考慮に入れるならば、これこそ不信の種ではなからうか。単純な話として、嘘吐きのいふことは信用されないものだ。

明確な一線を引いておけなければ、いつかずるずると制約を解除してしまいかねず、それは仮にも過去に愚かな侵略戦争を行なった国の取るべき態度ではあるまい。

明確な一線がないからずるずると制約を解除してしまつてゐるのがまさに今の日本といふ国である。曖昧な線を明確にしませうといふのが(一部の)改憲論者の主張に他ならない。今の憲法第九条は言霊的な空文になつてゐるのだから。

軍備の是非

「無抵抗で他国に占領してもらふのが一番ダメージが少ない」といふ考へには全く与することができない。日本はなまじ一度連合国軍(アメリカ)に占領された後に平和裡に解放されたものだから、占領されることに馴れてしまつてゐるのかもしれないが、あんなのはただ運が良かつただけだ。次にどうなるかなんて誰も想像なんてできない。といふか、今でも実際に拉致被害者が存在するといふのに、それすらも容認する様な考へ方であることにお気付きだらうか。「他国の占領を受けても、さう酷いことにはならないだらう」なんていふのは、何故か自分だけは酷い目に遭はないといふ根拠の無い自信にすぎないと思ふ。必ず誰かが酷い目に遭ふのだし、それが自分とその家族でないといふ保証はどこにもないのだ。
「戦争はよくない」と皆がいふ。それあご尤も。では戦争とは誰かが好き好んで行ふものだらうか。さうではないだらう。一部にさうでない国もあるやうに見えるが、ともあれ双方のいづれか一方が乗引きならない状況に追込まれでもしない限りさう簡単に戦争など起るものではない(あくまで一般論的に)。戦争を放棄しませうといふのはつまり、「なんとか乗引きならない状況にならない様に努力します」といふ決意表明でしかない訣で、それでも何ともならなくなるのが「乗引きならない状況」といふやつだ。「戦争に依らない限り解決策はない」といふところまで敵対意識が高まつた状態で、「でもうちは戦争しませんからどうぞ占領してください」といふ態度を取つたとして、その後に平和的な生活が待つてゐるだらうか。有得ない。いや、可能性としては「有る」かもしれないが、それのみを唯一の未来として方策を立てて良いはずがない。
軍事力の拡大は国民に負担を強ひる。徴兵制だつてあるかもしれない。まあ、世界的になるべく軍事費は抑へようといふのがトレンドの様だから、どこまでさうなるかは分らない。それはそれとして、日本に劣らぬ「凶状持ち」であるドイツだつて徴兵制を敷いてゐる。勿論内外に批判もあるだらうし、国民だつてできるならば徴兵逃れを望むだらう。ミハエル・シューマッハーは国際的プロスポーツ選手だからといふ理由で徴兵を免除されてゐた筈。でも、ドイツといふ国が「徴兵制があるから」不幸な国であるといふ話は聞いたことがない。人によつてはさういふことを言つてゐるかもしれないが、住んでゐる国民にとつてドイツはそれほど酷い国ではないはずだ。もちろん問題は色々あるだらうが、そんなのはどこの国にでもある。永世中立を謳ふスイスだつて徴兵制で自らを守つてゐる。だからといつて別に「日本も徴兵制を採用すべきだ」とは思つてゐないが、未来の選択肢の一つとして断然忌避すべきものだとも思はない。「嫌だなあ」とは思ふけど、嫌でもやらなきやならんことはある。
今のところ「自衛隊があるから安心」といふ状態にあるかどうかは分らないけれども、実際問題として日本は領海侵犯をはじめとして様々な挑発行為を受けてゐる。自衛隊はさうした動きに俊敏に対応できない状況に置かれてゐる。これが望ましい状態であるとは到底思へない。
戦争といつたら全面戦争といふイメージで語られがちだが、それ以前の小さな事件のひとつひとつこそ武力でなければ退けられないものである現実も見なくてはなるまい。日本国内が仮に「平和」であるとしても、「平和」といふ言葉が日本海上の漁師を守つてくれる訣ではない。

結論

今後日本が本当に軍備の一切を捨て、自衛隊が「国際救助隊」にでもなるのでないかぎり憲法第九条の改正は不可欠だと思ふ。真当でない詭弁に塗り固められた国を愛することができようか。ワシは、自分の住む国がわづかでも真当であつて欲しいと願ふ。大切なのはそれだけであつて、「右」か「左」かなんてレッテル付けには全く興味がない。

  • 2006年12月11日 funaki_naoto 政治, 社会