大和但馬屋日記

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誤用だ誤用だ

細かなツッコミどころはいくつもあるけれど、代表的なのをひとつ挙げておかう。これだけ色々「拘つて」おいて、べき。べき。と連発してゐるのはわざとなのか。
それはともかく、書かれてあることの一つ一つが仮に正しいとしても*1、全体の一貫性が無かつたり根拠とするものがまちまちであつたりするので一纏まりの文書としては今ひとつ信頼できない。これを書いた人なりの、通してゐるべき「筋」といつたものが見えてこないのだ。
なんだか見たことある感じだなと思つたら、前に一度*2間接的にとりあげたことのあるサイトの人だつた。その時と印象が変らないな、といふ意味では成程一貫してゐるのかもしれない。

(引用略)
全く根拠が見えて来ない。「拘る」は如何でも良い事に囚われて必要以上に気を使ってしまう事を言うから、「何が如何でも良い事なのか」を説明しないのは根拠のない批判だ。「「べき。」「べき。」と連発してゐるのはわざとなのか」と云う反語も根拠が分らない。「連発」している事を好く思っていないみたいなのだが、だとしたらそれは何故なのか。

反語を使うと、とかく根拠のない批判になってしまう。「態となのか」は「態とではない(だろう)」の反語だ。だから上記の文章は根拠が分らない。

説明を怠つたままにしたのは申し訣ないので、根拠を説明します。
「べき」といふ語は「べし」の連体形であり、終止形はいふまでもなく「べし」である。したがつて「べき。」といふ形で文を結ぶのは、例へば「形容詞+です」といつた用法を誤用と弾ずるのと同程度の根拠でもつて誤りと言ふべきである。
当該文書全体のもつ性格を鑑みるに、五箇所も同じ誤用が見えるのは文書全体の趣旨に対して矛盾してをり、それを指して「連発」と表現した。そして、それが意図的なものかどうかは判断できないために「わざとなのか」と疑問形で結んだ。疑問形で結ばれた文が必ずしも反語表現とはいへない。少なくとも反語表現を意図して書いたものではないのでそちらの疑問には答へやうがない。
鍵括弧付きで「拘つて」と表現したのは、前述の指摘に代表されるやうな矛盾への「ツッコミ」の意図をそこに込めたため。明らかに不当であるならば撤回するが、表現としてそれほど不当だとは思はれない。
以上、説明しました。

*1:いくつか異論を挟みたいところはある

*2:id:yms-zun:20060115#ifif