大和但馬屋日記

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科学的な考察といふこと

今局所的に盛上つてるID論に関する話題を追ひかけて思つたこと。
ID論とかにハマつてしまふ人つて、どうしても今目の前にある世界が「到達点」であるといふ風に思つてしまひがちなのではないか。だから、一方で「この私といふ人間が確率的に発生した猿の一種である」といふ事実を直視できないし、一方で「今現在の科学理論で説明できないこと」に対して性急な解を求めたがる。自分が今といふゴールに立つてゐると錯覚し、過去をまるで年表を振り返るやうにしか想像できないから、今が遥かな未来に至る進化の中の一過程にすぎないといふ風に考へられないのだと思ふ。
で、これは言葉に関する議論でも全く同じなんだよな。あへて言ふならば、歴史的仮名遣ひは科学的であり、現代かなづかいは非科学的なのである。めんどいので証明はまたいつか。