大和但馬屋日記

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プラネタリウムを見てきました

yms-zun2005-04-21

メガスターの上映を観るのは初めて。なるほど、大掛りな施設でなくともこれほどのものが見せられるのですな。ただ、大掛りでないといつてもエアドームなので出入口がエアロック構造になつてゐる。出るときに良く見ると開け閉めの影響は大きいやうだ(全体の容積が小さいのだからむしろさうなつて当然)。本で読んだ通りではあるが、なるほどと実感。
それはさておき、本番の星の投影について。すごい、確かにこれはすごい。ただ、あまりに凄すぎて、光害の少ない場所で本当の星空を見上げた時と同じ様に当惑した。星が多すぎてどれがどれやら分らなくなるのだ。星座を見るだけならば六等星くらゐまでの星空で充分だとも言へる。さういふ意味では旧来のプラネタリウムにもまだまだ存在意義はあると思つた。メガスターの映し出す星空はそれとは全く別物だ。
あとは、その凄い星空をどう見せるか、かなあ。道具は凄いのだから、これは上映する側の問題だと思ふ。日本科学未来館インタプリタによる妙に名調子づいた解説は聞いてゐてあまり楽しくはなかつた。場所柄観客は大人しか居なかつたけれど、大人でもポカーンとした感じだつたし、もし子供が同じものを見ても興味を引かれるかどうか。科学未来館を訪れた子供達はどうなのか。
科学方面のイベントなどを見るたびに気にかかるのは、オレ自身を含む一般の人と、その科学分野がどの様に繋がつてゐるのか(あるいはどこで断絶してゐるのか)を上手く説明できてゐるかどうかといふこと。「こんな凄いものがあります、凄いでせう」といふだけではやはり駄目で、それがどう凄いのかが分らないと「ふーん」で終つてしまふ。といふか、オレ自身が「ふーん」で終つてしまひさうで、それがなんか悔しい。昨日「キューブサット物語~超小型手作り衛星、宇宙へ」を読み終へた時には一人静かに打ち震へてたりしたのだから、自分の感性が摩滅してるわけではないと思ふ、思ひたい。
例へば、あざとい方法ではあるけれども「現実の東京の星空(都心では三等星以上くらゐしか見えない?)」→「従来のプラネタリウムで見られる星空」→「メガスターの実力」を段階的に見せるとかして、観客に「おお」と言はせるタイミングを与へてやるとか。
もうひとつ、現実と徹底的にリンクさせて、「今現在の星空(昼間の時間帯であつても、太陽がなければこんな風に見えるはずの星空)」を見せてくれたら面白い。当然今なら秋の星座が見えるはずで、その中に「今そこにある太陽」を一つの天体として置いてやるとか。そんな風に、知覚をほんの少しずらすだけで別の何か(言はば真実の一端)が見えるといふ様な構成になつてゐれば、擦れた大人にも「すごーい」以上の何かを感じさせられるのではないだらうか、と。
ともかく、モノは凄いので、まだメガスターを見たことのない人は行つてみるとよいです。今週の土曜日まで。観覧は無料。

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