大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

数少ないサンプリングによる結論ありきの分析をするひと

mutronixさんの、はてなダイアリーにおけるコミュニケーション志向とキーワードに関する議論の考察のまとめ。そちらの議論については眺めてゐた*1だけなので特にコメントのしやうもないけれど、ここで示されてゐる「繋がり」の図は大変分り易いと思つた。
さて、ここから先、mutronixさんの話とは関係なくなる。ただその図からインスピレーションを得て(有体に言へばダシにして)今自分が関る問題に応用してみるだけなので、以下の文責は私yms-zunに生ずるものである。以上が前置き。
鈴木(id:yskszk)氏の誤りは、所謂正かな派をあくまでひとつのグループとして語り得ると考へてゐることにある(付け加へるならば、氏はその自ら仮想したグループを完全に見下してゐる)。氏はただ「正かなを使うひとは中二病っぽい」と書いただけで、yms-zunさん以外のひとまでが過剰反応すること自体が、ある種の徴候なのではないかとも思えます。と書いたが、これはどのやうなサンプリングの結果によるものだらうか。氏がこれを書いた時、氏の文章に対して抗議を起した「正かなを使うひと」は、私の記憶に間違ひがなければ私と野嵜氏と江洲氏のたつた三人である。かう言つては何だが、私の認知する範囲において、正かなを巡つて他者と議論することを厭はない面子ばかりである。その後勿論言及する人の数は増えたが、それでも充分多いとは言へない。時系列まで含めて考へるならば、鈴木氏が「yms-zunさん以外のひとまでが過剰反応すること自体が、ある種の徴候なのではないかとも思えます。」と書いたのは一を見て十であるかのやうにみせかけるテクニックと断じてかまはないと思ふ。といふか、対象個人を特定せずに「〇〇する人は中二病」と決めつけてそれを目にした「〇〇する人」数人が怒つたことに対して「yms-zunさん以外のひとまでが過剰反応すること自体が、ある種の徴候なのではないかとも思えます。」と書くのは何なのか。鈴木氏よ、アンタ最初はオレを名指ししなかつたよな? 鈴木は本当に馬鹿だ。
今、ウェブ上で正字正かなを使ふ人がどのくらゐ居るかはしらないが、はてなアンテナ - 正かなつかひのためのアンテナに登録されてゐるだけでも随分な人数が居ると思つて良いだらう。そして、それらの人々にどのくらゐ繋がりがあるかといふと、個々のレベルの交流はさておいて、全体の傾向としてはそれこそ「はてなアンテナ - 正かなつかひのためのアンテナに捕捉されてゐる」といふ程度のものでしかない*2。それ以外に言へさうなことといへば、「私の國語教室」を読んだことがある人が多いのではないかといふ推測と、まあ野嵜氏の名前を知らない人もさほど多くないだらうといふ程度だ。
「正かなを使つてゐる人たち」の持つ繋がりは、最初に示したmutronixさん作成の図にあるピンク色の丸に繋がる線であり、個々の間を強力に結びつけて一団を為すグループ(図では黒い線で示される繋がり)ではない。思想も信条も趣味も嗜好も異なるそれらの中から、たつたの三人。
そのやうな杜撰なサンプリングでもつて「正かなを使ふ人は中二病」といふのは、同じく杜撰なサンプリングによる実験の結果でもつて「ゲームをする人はゲーム脳」と論ずる森昭雄教授と何一つ変らない。まだ実験してゐるだけ森教授の方がマシかとも思つたが、やはりその方が性質が悪いことに気付いたのでそれはやめておく。しかし、論法としては同じである。結論ありきの「分析」。森教授はこのさき一生テレビゲームに価値を認めないだらうし、実験もその目的に沿つて行つたものでしかない。鈴木氏も同じで、「興味深い」とか「考えてみたかった」とか言つてはゐるが、それはただのポーズだらう。「正かな」使ひの中でも特に(はてな内部において)目について痛々しいyms-zunを一丁凹ましてやらういふのが一番の目的で、この先私や他の所謂正かな派の人が何を書かうとも、その価値観が覆ることはあるまい。見下した相手の言ふことが如何に真当であつても(否真当であるほど)、それを認めるのは自らのプライドを傷つけることにほかならないからだ。
私を凹ますのは私ひとりが怒つてゐれば済むことだからよいとして(よくはないが)、鈴木氏はやはりきちんと「踏み込んだ分析」をして、自らの考への正しさを証明した方がよいのではないかと思ふ。気が向いたらで構はないけれど。正しさに拘らないのは個人の主義として一向に構はないけれど、氏の論が今のままでは「ゲーム脳」と同じレベルの愚論だといふ評価は改まらない。少なくとも氏は「踏み込んだ分析」を行ひさへすれば自身の発言を正当化できると考へてをられるやうなので、そんな評価を吹き飛ばすほどの素晴しい分析が出てくることをいつまでも祈りながら待ち続けたい。勿論気が向いたらで構ひませんが。当然私は「踏み込んだ分析」を行ひさへすれば自身の発言を正当化できるといふことについて甚だ懐疑的である。氏は他人を見下してゐるだけであるからだ。だからこそ、さうでないことを祈りながら待つのだ。
以上、私自身が矛盾した行動に基いて鈴木氏を面罵したことは本当に申し訣なく恥かしく思つてゐるけど、だからといつて話は終つてませんよといふ意思表示。
で、以下はただの喧嘩腰。私は「正かなづかひ」を「旧かなづかひ」と表記するだけで怒つたことはないし、正かなづかひに異様なこだはりを示してゐるわけでも形式的な「正しさ」に固執してゐるわけでもない。嘘だと思ふならF1日記を見ればよい。オレとて妥協するところではしてゐる。そもそもネットの文章だけ読んで、他人がどんな人生を歩んできた*3か、如何にしてそのやうな考へに行き着いたかも想像せずに「正しさに拘るのは中二病」と決め付けられるその無邪気さには恐れ入る。
それと、自分が若い頃に正かなを使つてゐながら今は「卒業」したといふ個人的な経験を基準にセカイの外の人の行動原理を測つてみせたり、「正しさ」といふ概念言葉に異様な反撥*4を示したりする辺りが、私には大変に「興味深い」。まるで私自身の二十年程前の姿を見るが如くである。鈴木氏はどうしてそのやうに考へるやうになつたのですかね。オレに分析する気は全くないけれど、どうですかそれに付ける病名などひとつ。まあ、ご自身で認められてゐる様なので嫌味ではないのでせう、氏の物の見方に拠れば。

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*1:読んでない

*2:これを纏めた舩木氏の労力には敬意を表する

*3:ここでどんな人生を歩んだか書き始めたら、今度は「自分語り」とか言はれさうだからやらない。笑

*4:余裕のある揶揄といふポーズをとつてゐるが