大和但馬屋日記

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「釣れますた」らしい

「譬喩に頼るのはよくない」とことあるごとに強調するのは、強調すべきだと思ふ局面が目の前にあるからで、別に言葉から譬喩的なものを排除すべきだとも排除することが可能だとも思つてはゐません。コノテーションが存在しない状態はあり得ないにしても、コノテーションを前面に押し出した議論はえてして不毛であり、不毛な議論を好き好んでやることはなからう、と。不毛でない議論にまで「譬喩イクナイ」と首を突つ込んだことはないはず。私が本当に嫌ふのは譬へ話ではなく論点を見失つた議論に巻き込まれたりそれを見聞きすることで、譬へ話がその端緒となつてゐる場合においてそれを強調してゐるつもりです。行動が伴つてゐないかもしれませんが。「中二病」にそれを持ち出して絡んだのはまた別の理由であり、それは後述します。
更に個人的な動機を付け加へるならば、元来私は譬喩を多用する人間であり、「譬へ話の上手い自分」に酔つてゐたことすらありました。それを恥じるべきだと思ふ切掛けがいくつかあつて、その結果として現在のやうな主張を始めたのは比較的最近のことです。意識的にさうしないとまたいつ溺れるかわからないので、ことあるごとに強調するやうにしてゐます。以上よろしいでせうか。
嫌味の件は、そこを突かれるとぐうの音も出ません。下衆なのは私の方でありました。該当キャラが高い確率で私であるのに他の方が反応し始めてしまつたので、ここを突かれたら痛いなと知りつつも無礼を承知で絡ませていただきました。鈴木氏の言及対象が私であると確定したのであれば目的は達したことになります。勿論鈴木氏からみれば掌の上で踊つてゐるだけでありませう。のらりくらりと身をかはさずに「相手はあんただよ」とはつきり認めていただけたことに感謝しつつ、口汚く罵つたことをお詫びします。申し訣ありません。
もう一点、ただ「正かなを使うひとは中二病っぽい」と書いただけで、yms-zunさん以外のひとまでが過剰反応すること自体が、ある種の徴候なのではないかとも思えますについて。私は自分が中二病であるかどうかには拘りません。むしろどうせ年をとるなら青臭いままでゐたれ、と考へてをります。それは構はないのですが、所謂正かな派といふ人たちは正かな派であるだけで普段からあれこれと筋の通らない批判ならぬ非難や嫌味に晒されがちなのです。その拠所が学校教育でなく理屈である以上、理屈が通つてゐることを常に証明し続けない限り正かなは廃れてしまひます。廃れても構はない人も居れば廃れさせたくない人もゐる訣で、廃れさせたくない彼ら(私含む)に対してあらゆる非難に鷹揚であれといふのは余りにも酷といふものです。さういふ事情も汲んだ上で中二病といふならまだしも、「思考停止だ」と前置きした上であのやうな煽りをして、その反応に対してどうかういふのは、これは譬へ話ですが「鞭で叩いて悲鳴を上げたら魔女」といふのと何も変りません。釣られる側はあへて釣られないとそれを認めたと見倣されかねない訣ですから、さういふ手はやはり首肯しかねます。そして、さういふ使はれ方が早晩蔓延りさうなので、やはり「中二病」といふ文言が一般化していくことには拒否感があります。
私も恥ずべき悪手を使つてしまつたので鈴木氏とこの点で議論の席に就く資格があるとは思ひませんが、「正かな派」を釣つておいて「釣れますた」もあんまりだと思はれますので、中二病といふならいふで、やはり「踏み込んだ考察」をお聞かせいただける時を待ちたいと思ひます。その気があれば、で構ひませんが。
とりあへず、以上です。

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