大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

しつこい様だが

自分がどこに拘泥してゐるのかを明かにする為にも改めて整理してみる。

天動説とか地動説とかいふのは、宇宙の構造を説明するために体系化された学説のことである。そして、天動説は地動説によつて今のところ否定されてゐる。故に、地動説が正しいといふ立場をとる限り天動説は誤りである。
地上から観測する限り、天体が動いてゐる様に見える。天文学的な未来予測の結果を地上観測するために計算する必要がある場合、「地球を中心に天体がどう動いて見えるか」を計算から導かなくてはならない。しかし、「地球を中心に天体がどう動いて見えるか」を考へることは天動説とは全く関係がない。
「地球を基準として止つてゐると見倣す」ことと「すべての天体が地球を中心として公転してゐること」は同じではない。天動説とは後者の立場をとることであり、「天動説が間違つてゐるとは言へない」ことを証明するには、少なくとも地動説でのみ説明できるとされてゐることを天動説でも説明できなくてはならない。
渡部・谷沢の対談中に出てくるのはWikipedia:地動説中にある記述に対応する内容だと思はれるが、その様な論争の過程と「天動説が間違つてゐるとは言へない」とする結論との間に些かも関連がないのは、一読すれば分ることである。
以上、誤謬があればご指摘願ひたい。
で、結局何が気に入らなかつたかといふと、本来さう呼ぶべきでないものを某であると見倣して、本来的な意味で正しいとされてゐるものに難癖をつけ、それを信じる人の価値観を無駄に揺さぶるのは良くないことではないのかと。正字正かなの人であればその辺のことはよく御存じでせうに。
どうしても価値観を揺さぶりたいならば詭辯でなく本気で挑みませんか。

参考


# yms-zun 『私の方で論点を絞らせていただいてゐます。
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20040924
座標系の変換による結果としての見かけ上の「天動説」が、用語としてどの程度正しいかを示していただければ幸いです。私の主張は「それは天動説とは呼ぶべきでない」です。』
# iwaman 『誤解を招きやすい用語であるとは思ひますが、他に言ひ方がみつからないので、それが最も適切だと思ひます。まあ、私は他の人の言ひ方に從つてゐるだけです。「天動説」と呼ぶべきでないなら、逆にこれを何と呼べばよいかお訊きしたい。』
# iwamanhttp://blogs.dion.ne.jp/shadow/archives/74637.html
このへんとか。>他の人の言ひ方』
# iwamanhttp://www.mediawars.ne.jp/~m921320/column_05.htm
こことかも。
まあ、「天動説は誤りではない」と言ふ時の天動説と、「天動説は誤りである」といふ時の天動説の意味が違ひますからねえ。私は意味が違ふといふことについては始めは深く考へてゐなかつた。これは反省してゐます。しかし、これは「天動説」といふ言葉自體の持つ多義性のせゐで、これはその文脈によつて理解するよりしやうがないことなのではないかとも思ひます。』
# iwaman 『ここの説明も分りやすかつた。參考までに。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/9964/today4.htm

議論の流れを途切れさせないためにコメント欄から抜粋させていただきました。
天動説と呼ぶべきでないものを何と呼べばよいかを私に尋ねられても困ります。ここで私が何を提示したところで、それは単にコンセンサスのない「オレ用語」を一つ増やすに過ぎず、私は社会学屋などではないのでさうした行為を忌み嫌つてをります。ですが、頬被りを決め込むわけにもいきませんので、イワマン氏の提示されたURLからさらに辿つて見つけた下記のサイトを示させていただきます。

この記事においては「天動説的体系」といふ語を用ゐ、「地動説的体系」と数学的に等価であることが説明されてゐます。しかし、同時に地球から見た惑星の位置運動に関する観測データの数学的説明能力に関する限りとの注釈が強調付きで加へられてもゐます。このページに書かれてゐる内容が信頼に値するとして、ではこれを直ちに「天動説が間違つてゐるとはいへない」と言つてよいものかと。
かういふ例示の仕方はずるいかもしれませんが、「なんとか式字音仮名遣ひ」は仮名遣ひにあらずといふ説明をきちんとなさる方が十把一絡げに「天動説」と言つてしまふのは、あれ、それでいいのかな、と。厳密に過ぎるといふならそのご指摘は甘んじて受けますが。