大和但馬屋日記

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今日のゲーム(九月十三日)

光神話パルテナの鏡(GBA,Nintendo)

何だこれ。
敵を倒して得られる報酬と、要所で行へる買物と、その結果得られる効果の釣合ひが全然取れてない。よく言はれる理不尽な落下死は「さういふルールだから」で済ませるにしても、パラメータのバランスが滅茶苦茶としか言ひ様がない。結局、どこかで不毛な稼ぎ行為をするしかなく。
何つか、「スーパーマリオ2」がゲーム開始直後に無限1upすることを前提にバランスを取つてるのと同種の歪みをこの当時の任天堂のディスク版ゲーム全体に感じるよな。難しいこと自体はいいんだが、それを少しでも楽に進めるための「作業」が全然楽しくない。たぶん「上達する悦び」みたいなものと通じてないんだな。
過渡期のゲームだから仕方ないと言へばさうだけど、だつたら過渡期のものを今更遊んでもなあ、とファミコンミニといふ企画を全否定してみる。とはいへ、例へば「ドラキュラ」の初代ファミコン版などは今遊んでも楽しいし、オレは当時リアルタイムでそれを遊んだわけぢやないので「懐しさフィルタ」でさう言つてゐるわけでもないはず。しかし当時遊び倒した「メトロイド」をもし今知識なしに遊び始めたらどう思ふかと想像すると、自分の言葉が単なる八当りにも思へてくる。何が言ひたいのか分らなくなつてきた。
まあアレだ、ゲームの中での「お買物」といふ概念が大嫌ひといふいつもの感情が根つこにあるのは間違ひない。さういへば「リンクの冒険」にはルピーの概念はなかつたな。そこは美点だ。
ともかく、随分時間をかけたが、まだ一面のボスの砦の中。例に漏れず音楽と効果音は神がかつてるから、それを心の依処としよう。


二面に進んだ。体力ゲージがMAXになつて、あらかじめ持つてゐたパワーアップアイテムのバリアが使へる様になつたら途端に楽になつた。うーむ。
もし一面でバリア以外のアイテムを選んでゐたら、と思ふと背筋が寒い。