大和但馬屋日記

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唯一絶対の正しさ

「正しい」と云ふことを、何故一つだけしか認めないのか?

全く同感。正字正かなといふと「ぢやあ略字略かなは間違ひだといふのか」と突掛かる人が多いのと同じ問題といへさうです。
日本人は伝統的に唯一絶対の正しさといふものを信じてゐないはずなのに、時々かういふをかしなことを言ふから不思議。それでゐて、おそらく『どちらの字も正しい』という立場は、できれば避けたいといふ考へをとる人であるほど、絶対的な正しさなるものを信じてはゐないと思ふのだがどうだらう。
論理的に正しい事柄と伝統的に正しいとされる事柄はしばしば対立するけれども、どちらであれ正しいと認めて規範とすることは可能。しかし、「規範的でなければならないから両方正しいことはありえない」といふのは論理的に成立しないし日本人の伝統的な思考法にも沿つてゐない。つまり考へ方として間違ってゐる。
といふか、正しさについてきちんと考へないから辞書ごときに規範性なんかを求めてしまふのだ。辞書は辞書であつて規範ではない。判断するのは自分自身だ。
といふかといふか。異体字が認められたくらゐでうろたへるやうな連中の作る辞書など規範にできるものか。かつて、辞書の編者たちは立場の違ひこそあれ皆自らの基準の正しさを信じて辞書を編んだはずなのだ。