大和但馬屋日記

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可能性と違法性

開発者逮捕の是非を問ふのは別のこととして、今さら銃や刃物やある種の薬物を例に挙げるまでもなく用途や使用法を限定すれば有用で可能性とやらが拡がるものなんて幾らでもあるだらう。コンピュータのソフトウェアだつて同じだ。「さうした物が万民の手に渡つたこと」が問題視されるのは不思議でもなんでもない。
といふか、winnyで不法にファイルをやりとりしてゐたユーザーの内の誰か一人でも「開発者に責任はない、悪いのは我々ユーザーだ」といつて名乗り出た奴はゐるのか。古代の哲学者は「悪法も法」と言つて毒杯をを呷つたさうだが、現代の思想家は可能性とやらを論じてゐればそれで良いのか。
一人の功労者のおかげで百万人単位の「恩恵」を受けた者がゐるとして、その功労者がユーザーの違法行為故に捕まつたといふのにそれを我が責任として肩代りするなりなんなりする動きが全く見られないのだとしたら、さうしたものの持つ「可能性」なんてその程度のものだつたといふことだらう。実際にそんな動きがあるのかないのかは知らないけれど。きつとかうしてる今この瞬間にも、違法なファイルの断片がネットワーク中を駆け巡つてるんだらう?