大和但馬屋日記

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ヒマワリのゆさりともせぬ重たさよ(白秋)

id:nnh:20031201さん経由でWikipedia:ヒマワリの項を見る。ヒマワリは夏の季語て,そんなアホな (;´Д`)
表題の句を見て何とも思はないものかね。向日葵で何が悪いか。
などと書いてゐるとあおやぎさんの日記でタイムリーな話題。先日の「ツルの一声」に纏わる話。

言語集合とその写像といふ概念。「人の数だけ写像がある」のには同意。しかし,混乱を来しさうになつたときに「これを見ろ」と言へる本体なくして写像は有り得ないと思ふ。「オレ写像」の押付け合ひになつたら誰もが困るわけで。新大阪も淀川も,日本語としての本体があるから英語の表記が多少ぶれても通じるのですよね。
関係ないけど「Kaminarimon gate」でも「Kaminari gate」でもGoogleでそれなりにヒットするが,「Thunder gate」でぐぐるPCエンジンのシューティング「ゲートオブサンダー」ばかりヒットして困る。つか,あのゲームは「雷門」といふ意味だつたのか!


さて,上述したWikipediaノート:ヒマワリから辿つた,この様な解説。

動植物のカタカナ表記,いはゆる和名について簡単に説明されてゐる。

例えば「さくらそう」、図鑑では「サクラソウ」とカタカナで書きますね。漢字では当然「桜草」。図鑑で見るカタカナ表記は「学名」ではなくて「和名」と言います。私達が花の名前を呼ぶ場合はこの和名で呼ぶのが正しいのです。地方によってはサクラソウのことをユキワリソウと呼ぶことがあって、これは「地方名」。従って和名には「正式和名」と「地方名」が存在するのです。地方ごとの行き来が少なかった時代には地方名ばかりたくさんあって、正式和名が定まってなかったので話にならなかったようです。万葉の時代の植物の名前でも今と違うでしょ?秋の七草のキキョウはアサガオのことだとか、不明瞭なことはなはだしい。そこで牧野富太郎博士は正式和名を普及させようと努めたそうです。

学問的に和名が必要とされた経緯はよく理解できる。では,「本体」はどこにあるのか,といふ話になると,それぞれの「地方名」こそがそれにあたることになるだらう。オレ写像ならぬオレ本体ですな。それでは如何にも拙いので,和名といふ普遍的な写像が与へられたわけだ。個人的には,だからといつて和名をカタカナ表記で決めることはなかつたぢやないか,と思ふ。学問の場で真に必要なのはラテン語による学名なのだから,和名の表記に多少のぶれがあつても困りはすまい。
学問的なことはともかく,何とか「地方名」なる本当の名前を保存して伝へる方法はないものか。クロダイといふ魚のことはよく知らないけれど,チヌと言はれれば「ああ,あれか」と大阪の人なら思ふだらう。「大阪湾」と呼ばれる海はもともと「茅淳の海」と呼ばれたのであり,そこでよく獲れる魚の名前と分かち難いものだ。

観察会などで 良く「この花の学名は セイヨウタンポポですか?」と聞かれることがありますが、「いえ、COMPOSITAE(キク科)の taraxacum(タンポポ属) officinale(セイヨウタンポポ) です。」と答えるのもちょっと味気が無いし相手を傷つけるだけ。
「そうです!英名でダンデライオン、ライオンの歯なんですよ。」と答えられるようになればあなたの人間性も一段と豊かになると思うのです。

英名も結構だが,さういふときはどうか漢字で「蒲公英」と書くことも忘れないでやつてほしい,と思ふ。
どうでもいいけどこの話,「写像」を「位相」と言換へると如何にも思想系なニホヒがしますな。


ああさうか,あおやぎさんの仰る「写像」とは言葉の集合がカテゴリ毎にあつて,そのカテゴリ間でそれぞれ対応したりしなかつたりといふ風に捉へるといふことで,オレがイメージしてる抽象的な実体(すげえ矛盾)を顕す像として言葉が多様にあるといふこととは根本的に異なるといふことですな。‥‥て,ちやんと言ひたいことを言語化できてるかオレ?できてない模様
ホント,難しいですね。