大和但馬屋日記

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鈴鹿伝説'90

セナとプロストのチャンピオン争ひは再びもつれて鈴鹿へ。前年とは立場が逆転、セナが優位で迎へた正念場、ここでセナは‥‥ペッ、ペッ。つまらんことは忘れる。
前年、セナとプロストの争ひに翻弄されながらも自身初めての優勝を飾つたアレッサンドロ・ナニーニの姿がない。前戦ヘレスまでベネトンで元気に戦つてゐた彼は、レース後の休日に自家用ヘリで移動中、着陸間際の事故に遭ひ、ローターで右腕を切断されてしまつた。悪夢。中継ではフォローされなかつたが、病院の床でテレビを観るナニーニに向けて、ベネトンスタッフが「チャオ、サンドロ!」とメッセージを送つてゐたのが心を打つ。
レース前のドライバーブリーフィングではシケイン通過の際の注意が改めて行はれた。もちろんF1ドライバーにわざわざ念を押す様なことではない。それはまるでFIAが前年の裁定を正当化するための説明に思はれた。このあまりに馬鹿げた茶番に、ピケが激昴。チームメイトが重大な事故に遭つた直後にこんな下らないものを見せつけられ、我慢ならなかつたのだらう。
ナニーニの代役として、古くからピケに面倒を焼いてもらつていた後輩のロベルト・モレノが予備予選組のユーロブルンからベネトンに移籍した。
セナとプロストがスタート直後の8.7秒で消え、ベルガーが二周目に消え、マンセルがドライブシャフトを折り、気が付けばピケ一位、モレノ二位。ベネトンが一番輝いた瞬間。
そして鈴木亜久里が表彰台に立ち、中嶋悟も六位入賞。いづれもただダラダラ走つてゐたのでなく、目の前のライバルをぶち抜いて得たポジションだつた。


なんか調子が違ふので線を引いとかう。いろいろな意味で、この年のF1日本GP特異点にあることは、日本のF1史といふ点からは疑ひ様のないところだらう。F1バブルが最も膨んだ時、これ以上望むべくもないほどのドラマが展開された。サーキットを彩るマシンの色、エンジンの咆哮、古舘の絶叫。日本人にとつて、これが鈴鹿の原風景となつたのではないか。
日本のF1は、たぶん、今もなほこの日の幻影を追ひ求めてゐるのだ。「次のレースが最高のレース」と信じたがるこのオレ自身も。


ネルソン・ピケ、実に52戦ぶりの優勝。ベネトンチーム三勝目、鈴鹿二連勝、初の1-2フィニッシュ。TOP3インタビューの第一声でピケはかう言つた。
「やあ、みんな覚えてゐるかい? 僕がネルソン・ピケだよ」
ピケは次のオーストラリアで連勝を決め、モレノも翌年のベネトンのシートを確保。ブラジル人義兄弟の、ほんの短く楽しい夢は、しかし翌年夏の終りに突然断たれた。
さう、ヤツが現れたのだ。
来週に続く。