大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

島にて

島

老人と猫ばかりが住む小島の墓地は、その狭い集落の家並に比してなほ密度を増しつつあつた。土葬の頃の家形の墓は姿を消しつつあり、石塔が秩序といふ言葉と無縁にひしめき合ひ、人はそれらの間を掻き分ける様にして、家筋の墓に器用に辿り着く。
「これはアフビキの爺さんで、こつちはゴンザのヒロシ君」島では人を屋号で呼ぶ。いはゆる名字はたかだか百年と少し前に押し着せられた記号にすぎなくて、役所の書類と郵便物の配達くらゐにしか役にたたない。死んで現世の籍を失ひ、鬼籍に移る。島の外からの出入りがなかつた頃、島で生まれ育つた者は必ず島に葬られた。今は出入りが激しいけれど、とりわけ出て行く一方だけれど、それでも死んで島に帰るのはまるで当り前の様だ。先の大戦の英霊たちも、石ころになつて帰つて来た。多くは陸軍の兵士か下士官で、判で押した様に南方戦線に散つた。その墓の前に、いかにも自然に寛永通宝が供へられてゐる。そんな島だ。
狭い墓地のあちこちに、毎年真新しい石塔が立つ。それは人が生きてゐる証だ。かりそめの現世を離れ、この島に骨を埋めたその時に初めて人は「この島のモン」と呼ばれるに値するのではないか。猫の額ほどの墓地こそが島の実体で、そこに入る順番を待ちながら人は日々を暮してゐるのだ。
この小さな島に留まらず、この狭い日本で外と交はらず生まれ育つといふのは存外さういふものなのかもしれない。そして、猫はただ猫らしく生きてゐる。