大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

はてなカウンターの解析結果から傾向を大雑把に読み取ってみる

Google等の検索エンジンからの来訪者はダイアリー内でのページ移動を一回以上行つて欲しい情報を探さうとした痕跡を残す割合がそれなりに高い。
それに対し、誰かのはてブの「お気に入り」からやつて来た者は当該エントリ以外に興味を示さない。前後に関連エントリがあるかどうかを確かめようとする者は皆無といつてもいい。
結論。はてブは結局「気分の表明」と「他人の気分の確認」の為にしか使はれてゐない。結論から導かれる感想。馬鹿ぢやないのか。
来るべき「2.0」時代だかなんだかいふものも、こと日本においては随分つまらない形に収まりさうだと想像できてしまふな。
ついでに、はてブの「お気に入り」からやつて来る者とよく似た行動を示す者が居ることも付加へておかう。2ちゃんねらである。

  • 2005年11月25日 ken_wood 『[Lank-C][視点]>誰かのはてブの「お気に入り」からやつて来た者は当該エントリ以外に興味を示さない。』
  • 2005年11月25日 REV 『[ ネタ][釣り][hatena]個別例の一般化』
  • 2005年11月25日 facet 『[social][B]自分のエントリーへの反応だけでSBM一般を語るのはどうかなあ。鏡みたいなものだし。自分も気をつけよう。』
  • 2005年11月24日 laiso
  • 2005年11月24日 odd991 『私のブログの場合、検索エンジンからの来訪者は当該エントリ以外に興味を示さない。つまり、みんな2ちゃ…』
  • 2005年11月24日 ekken 『[sbm]この記事は「気分の表明」と「他人の気分の確認」の為にしか使われていない。感想。馬鹿じゃないの?』

などと言つてる間に展型例が

何の、とは言ふまい。
大体、オレがいつ「批判的ブクマコメントイクナイ!!」なんてレベルの話をしたといふのか。
たぶん、昨日のエントリにブクマコメントを残したb:id者はオレがさう言つてゐるのだと思ひ込んでゐるのだらう。そして、オレ自身が「ブクマされさくない」と思つてゐる、と考へてゐるのではないか。
オレは、はてなブックマークといふのは自分自身の「読み」を助けて次に繋げるためのツールだと思つてゐる。しかし自分はさういふ風に使ひこなせないことを悟つたから使ふのを止めた。
で、実際やつてくるのは他人の文章をろくに読みもせず気分だけ落していく連中と、そこから発生する2chと同質の同調圧力だ。オレがなりたくないと思つたはてブユーザーの姿が、現にある。
まさかお前ら、「批判」と「つまみ読みして垂れ流した気分と、そこから生まれる同調圧力」が同列だと本気で思つてないだらうな?
朝つぱらから力が抜けるよ全く。

  • 2005年11月25日 brax 『[ はてブ論][ はてなブックマーク] 何これ』
  • 2005年11月25日 laiso-2005年11月25日 facet 『[social][B][*要再考]どうしてこう攻撃の応酬になってしまうのだろう…。SMBのせいなのか(いや、違うだろう)』
  • 2005年11月24日 odd991 『[コメント問題]批判 冷笑 同調圧力 ”空気読め”神話 文脈依存』
  • 2005年11月24日 TakahashiMasaki 『[揉め事][はてブ][じっくり]』
  • 2005年11月24日 mutronix 『[ekken]↓人格批判キタ…と書こうと思ったらkanoseさんが音速でブクマ!/あと閲覧と編集は別機能です>ekkenさん』
  • 2005年11月24日 kanose 『[揉め事]』
  • 2005年11月24日 ekken 『[sbm]はてブがキライだ嫌いだ、といいつつ、いちいち自分の被ブクマを確認する姿に、「力が抜けるよ、全く」』

そもそもブックマークとは

「栞」のメタファである。メモ書きを残せるといふ点で、どちらかといふと付箋に近い。
さて、ここに一冊の優れた本がある。仮に「私の國語教室」とでもしておかう。それを読まうとした「私」が、しかし手許にないので同書を愛読してゐる人に借りに行つたら、付箋まみれのそれを貸してくれた。
実はその付箋は、途中の「実用的」な正かなづかひのリファレンス部分に集中してゐたのだが、「私」はその部分にだけ目を通して満足して本を持主に返してしまつた。「あとで読む」とか言ひながら。
さて、それで「私」は本当に「私の國語教室」を読んだことになるだらうか。因みに、福田は同書の序章で「その部分」は飛ばしてもいいから他の章を読んで欲しいと言つてゐる。何故なら「私の國語教室」の本質は、手引書ではなく福田の悲痛な思想書だからだ。
この場合、本の持主の貼つた付箋が悪い訣では全くない。持主が自分の為に貼つた付箋を頼りにした「私」が愚かなのだ。そもそも全体を読まずに要点など分るものか。「他人の為の付箋」なぞ余計なものでしかない。故に、「ソーシャルなブックマーク」といふものは本質的に無効である。ある程度閉ぢたプロジェクトなどで共通の資料を用ゐる場合にはある程度有効だが、そんなのは「一部の人」の幸せな成功例にすぎない。
はてブのコメントは本の持主の貼つた付箋よりも、「私」が発した「あとで読む」といふ一言の様な使はれ方がされがちな点を見ても、それが全く有効に使はれてゐないことがよく分る。
などとオレがここで書いたことは、昨日のb:id某とそこから辿つて来た者にはまづ読まれまい。
はてなブックマークは、ソーシャルな意味で駄目なツールである。仮にツールとしては優れてゐても、ろくな使はれ方がなされてゐないし、作つた者が有効な使ひ方を示してもゐない。

  • 2005年11月25日 laiso
  • 2005年11月25日 facet 『[social][B][*D!]そもそも論は、どうかと思うな。(続きは後で)』
  • 2005年11月24日 REV 『[age]←こういう使い方って駄目?←という使い方は??』
  • 2005年11月24日 TakahashiMasaki 『[SBM][はてブ][じっくり]』