大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

そもそもブックマークとは

「栞」のメタファである。メモ書きを残せるといふ点で、どちらかといふと付箋に近い。
さて、ここに一冊の優れた本がある。仮に「私の國語教室」とでもしておかう。それを読まうとした「私」が、しかし手許にないので同書を愛読してゐる人に借りに行つたら、付箋まみれのそれを貸してくれた。
実はその付箋は、途中の「実用的」な正かなづかひのリファレンス部分に集中してゐたのだが、「私」はその部分にだけ目を通して満足して本を持主に返してしまつた。「あとで読む」とか言ひながら。
さて、それで「私」は本当に「私の國語教室」を読んだことになるだらうか。因みに、福田は同書の序章で「その部分」は飛ばしてもいいから他の章を読んで欲しいと言つてゐる。何故なら「私の國語教室」の本質は、手引書ではなく福田の悲痛な思想書だからだ。
この場合、本の持主の貼つた付箋が悪い訣では全くない。持主が自分の為に貼つた付箋を頼りにした「私」が愚かなのだ。そもそも全体を読まずに要点など分るものか。「他人の為の付箋」なぞ余計なものでしかない。故に、「ソーシャルなブックマーク」といふものは本質的に無効である。ある程度閉ぢたプロジェクトなどで共通の資料を用ゐる場合にはある程度有効だが、そんなのは「一部の人」の幸せな成功例にすぎない。
はてブのコメントは本の持主の貼つた付箋よりも、「私」が発した「あとで読む」といふ一言の様な使はれ方がされがちな点を見ても、それが全く有効に使はれてゐないことがよく分る。
などとオレがここで書いたことは、昨日のb:id某とそこから辿つて来た者にはまづ読まれまい。
はてなブックマークは、ソーシャルな意味で駄目なツールである。仮にツールとしては優れてゐても、ろくな使はれ方がなされてゐないし、作つた者が有効な使ひ方を示してもゐない。

  • 2005年11月25日 laiso
  • 2005年11月25日 facet 『[social][B][*D!]そもそも論は、どうかと思うな。(続きは後で)』
  • 2005年11月24日 REV 『[age]←こういう使い方って駄目?←という使い方は??』
  • 2005年11月24日 TakahashiMasaki 『[SBM][はてブ][じっくり]』