大和但馬屋日記

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マジレスしてみる

ただひたすら真面目なだけ文章ばかりの世界と、楽しませる文章が多い世界。自分は、どちらを選ぶかといえば、後者だ。

ツッコミ屋の生き方 - ARTIFACT@ハテナ系

まづこの対立項が有効かどうかから検証すべきだらう。
ただひたすら真面目なだけの文章が人を楽しませられない?
楽しませる文章が多い世界はネタだらけ?
んなアホな世界はない。前提からをかしい。ネタかマジかしらんが、kanose氏のこの話を真に受けた人は自分の感性の偏りを自覚した方がいい。
くだらないネタよりは面白い真面目話の方がマシだ、さうだらう。ネタか真面目かは面白さとは関係ないはずだ。
だいたい、「ネタ」なんてそれほど崇め奉るべきもんではない。といふか、「ネタであること」が何かの留保になると思つたら大間違ひだ。そんなのは80年代のテレビ屋的発想ではないかね。
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フォローいただいた

私が批判的に取上げた部分のフォローをいただいた。成程、それであれば納得しました。が、元の文脈からその様に読み取ることはやはり難しいでせう。
で、納得はしたもののやはり違和感はある。発想の元となつたhttp://mazzan.at.infoseek.co.jp/goiken4.htmlでも意図的に混同されてゐるが、「つまらない」と「クソ真面目」はやはり別なのではないか。といふか、「スタンダード反社会学講座」全体が高度なネタ文章ではあるが、内容が相当に真面目に書かれたものであることは今更ここで書くことでもないだらう。
ネタをユーモアとか笑ひに置換へても結局は同じで、笑ひをとれる優れたものの少なくとも半分は、書き飛ばしではなく真面目に書かれたものであると言つてよいのではないか。このへんの話になるとたぶん加野瀬氏と言つてることは同じだらうと思ふ。
話を元に戻せば、最初の加野瀬氏の二分法を単純に理解して、「ネタ」と断つておけば人を人と思はぬことをいくら無責任に書き飛ばしても許されると思ふ人がもし居たら、それは甚だ迷惑なことだなと(それが加野瀬氏の責任であるといふつもりはありません)。
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