大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

2004-07-07

[]後を継ぐもの

春風高校生徒会長選を思い出さざるを得ないな。かくなる上は島崎君の様な人材を探すしかあるまい。

[]ラルフ、トヨタ入り決定

本日、三年契約を結んだとのこと。パートナーは未定。

[]今日のキーワード(七月七日)

キーワード:ティレルの内容を記述。

象に踏まれなきゃわからない

昨日も取上げたDACさんのハードディスクは壊れやすいものであるについて、どうも気になつてゐたことがある。
こんなことは改めていふほどのものでもないのかもしれないが、要するに問題はハードウェアの扱ひに関する知識の啓蒙とかいふレベルの話ではないのではないかと。
エンドユーザー氏の部署と情報部の常識の違ひといふのも勿論あるだらう。しかしそれ以前にエンドユーザー氏をエンドユーザーたらしめてゐる態度が問題なのではないだらうか。具体的には、「自分は然るべきサービスを受ける立場にゐる『お客』である。サービスする側は客の便宜を図るのが当然で、客がそちら側の都合を考へる必要は全くない(あるいは考へるべきでない)。」といふやうな論理を無謬のものとして受容れてゐるのだと思はれる。
かういふ「お客様は神様である。私は客である。故に私は神である」といふ論法を無意識のうちに自分に対して適用できてしまふ人といふのは確かに存在する。それが一個人の資質の問題か、業種が人間性を作り上げる(あるいは補強する)のかはわからないけれども、仮に問題の発端がかういふ部分にあるのだとしたら技術的な知識の啓蒙がどれほど有効かどうかは疑はしくなつてくる。おそらくは社会生活上のすべての局面で同様の問題が起きてゐるものと推測されるからだ。もちろん啓蒙といふ手段が全く無駄とは思はないが、啓蒙といふ行為には反撥も付物なのがまた厄介だ。
ただ、さうなると解決策も非常に限られてくるわけで、結局は社内の力関係とか上下関係などで抑へつけるくらゐしか有効策が思ひつかないし、もちろんそれでは根本的な解決にはならない。まことにしんどい話である。