大和但馬屋日記

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2004-07-06

[]ウィリアムズFW26の変更点

ウィリアムズFW26の変更点

  • 1.フロントノーズに追加された整流フィン
  • 2.フェラーリ風に丸く整形されたサイドポンツーンとシャークルーバー
  • 3.インダクションポッドのフェラーリ風整流フィン

このうちインダクションポッドのフィンはモナコでも装着されていたから良いとして、サイドポンツーンの形状変更にはビックリだ。FW24からずっと引継がれてきた角ばった形のサイドポンツーンをあっさり捨てて、ほとんどフェラーリのコピーに近い形状に変えてしまったのだから。さらに煙突状の排熱口だけでは足りないのか、シャークルーバーまで真似てきたのだから恐れ入る。というか、F2003-GAのシャークルーバーをオレは苦肉の策だと思って見ていたから、こんなに他チームでも流行るとは思わなかった。で、本家本元のフェラーリは最近のモディファイでシャークルーバーはやめてしまったんだけどね。

それよりもフロントのサスペンションジオメトリをどうにかしないと、いつまでもセットアップは決まらないんじゃないのかな? と思う素人考え。それから、煙突がこんなに前の方にあったら給油作業もさぞやりにくいことだろうなと思う余計なお世話。

関係ないけど、画像が大きいのははてなダイアリーの方(有料オプション使用)に貼った画像をはてなグループの方から呼び出しているからです。普通にはてなグループで画像を貼った場合は長辺最大150ピクセルに制限されます。

[]今日のキーワード(七月六日)

三日坊主にもほどがある、というわけでid:onobuさん登録のハートからの連想でヤマハを登録、内容記述。さらにティレル予備予選を空登録。ティレルの解説は私が書くので「タイレル」をid:roverさんにお願いするというのはどうでしょう。笑。

表と裏

キーワードから辿つたid:dangerous1192さん経由でゲンダイネット:この人物のオモテとウラ F1ドライバー・佐藤琢磨を読んで唖然とする。嘘を一つも書かなくても人間描写をここまで歪めることができるのだから文章の力とは恐ろしいものだ。そもそもこの記事にウラなど何も書かれてゐない、どれも普通に調べれば分ることばかりだ。
具体的かつ適切な指摘はid:dangerous1192:20040706#p1に書かれてゐる通りなので私が繰返すべきとも思はないが、この記事に潜む悪意が何に根ざしてゐるかを考へてみる価値くらゐはあらう。ないか。
この記事は、実際に書かれてゐない部分*1について何も知らない人がこれを読んだときに、その読者が持ってゐるかもしれない心のスイッチを巧妙に刺激しようとしてゐる。それは読者が日頃感じてゐるであらう「私は正しく評価されてゐない/本当の自分はこんなもんぢやない」といふ不満や鬱屈の類だらう。メディアに出てくる有名人を取り上げて「実力と評価が釣り合つてゐないのではないか」といふ疑問を投げかけておけば、読者も意識しないうちにスイッチが刺激されるといふ寸法だ。それが刺激されたからといつて読者の何かが満たされるはずもないのだが、腫物に触ると気持ち良く感じることがある様に、まやかしの快感を得るくらゐの役には立つこともある。タブロイド誌や女性週刊誌の常套手段なのだらうが、琢磨の存在がもはやこんな扱ひを受けるほどメジャーになつたかと思ふとある意味で感慨深い。
ホンダと琢磨の関係にしても、フェラーリシューマッハーの関係にしてもさうだが、言へることは一つ。血縁でも地縁でもなく一人の人間が企業から絶大な支援を受けるといふことは、それだけの価値がその人間に認められてゐるといふことだ。佐藤がF1ドライバーの席を確保しているのもホンダのバックがあるからです。もちろんだ。ではなぜホンダは佐藤某といふ一介の日本人の後ろ盾になつたのか。くじ引きで決めたのか? 親がホンダの関係者なのか? 政治的な圧力か? 金でシートを買ひ取つたのか? どれも違ふ。少なくともこの記事はさうした「裏」を暴いたものではない。ホンダが「将来が有望なドライバーをサポートしますよ」と言つて開設したレーシングスクールで、とりわけ好成績を上げた若者に対して約束通りにサポートをしてゐる。当り前ぢやないか。もしホンダが何もしてゐなかつたとしたら、それこそ企業倫理にもとるといふものだらう。「もうこいつに投資するだけ無駄」と判断されたのでない限り、まつたく恥ぢるべきことではない。彼でなくともどこかの誰かがホンダのサポートを受けることに違ひはなく、今のところその対象が佐藤琢磨であることは至極妥当な話だ。さうでないと言ふなら、代りの人材の名前を一人でも挙げてみればよい。元記事の巧妙なところは、さういふ風に「ホンダのサポートを受けてゐるから駄目だ」「他にもつと相応しい奴がゐる」といつたことをはつきりと書かないところにあつて、だからこそ本当に厭らしい。
かうした記事の対象であると私が仮定した「『私は正しく評価されてゐない/本当の自分はこんなもんぢやない』といつたことを半ば本気で思ひこんでしまふ人」といふのが実在するとして、さういふ人は本当にすべてが正しく評価されてしまふ世の中を望むのか? と私などは思つてしまふ。受験や就職、給与の査定など何でも良いけれど、それらが運命的な力によつて、あるいは逃れ様もないほど厳正な評価によつて決定付けられる様になつたら、それは死ぬほど恐ろしいことだとは思はないだらうか。なぜなら、さうしたことが可能になつたら自分の意志や願望など一切顧みられなくなるからだ。
銀河鉄道999」において、テツロー少年は機械の身体が欲しくてスリーナイン号に乗り込む。長く苦しい旅の果てに機械化母星メーテルに少年が辿り着くと、そこで母星の意志が彼に下した判断は「ネジになるのが相応しい」といふものだつた。機械化母星メーテルのすべての機械部品は、人間たちを適性に合せて改造して作られたものだといふのだ。この例は極端だとしても、「本当の自分」とやらを他者に評価されるといふのはさういふことだ。その評価がネジだつたとして、その結果を受容れられるのか。さうではなく、自分が願望の通りに優遇されるべき人材なのだと、どの面を下げて主張できるのか。できるものなら、ホンダほどの大企業にバックに付いてもらへばどうだ、ええ?
といふか、ここまで書いて分つたけれど、琢磨はまさに「F1ドライバーになりたい」といふ願望を自ら叶へ、ホンダに優遇されてゐる存在なわけだ。メディアでクローズアップされるスポーツ選手なんて大概さうだと思ふのだけれど、それは確かに格好の餌になるだらう。それにしてもこんな取材なしの駄文でも幾許かの金をもらへるのだから、売文業なんて信用ならないものだ。記事中の「レース観戦記者」とか「事情通」なんて本当はゐないんだろう。
とかなんとか、話が大きくなりすぎてどう締めたものかわからなくなつたので放り出す様に終了。そんな「私は正しく評価されてゐない/本当の自分はこんなもんぢやない」などと本気で思ひ込む様な奴はどこにもゐないよ、といふことであれば何も問題はないわけで。つか是非さうであつて欲しいと願ふわけで。

*1:琢磨が英国F3チャンピオンを獲得しマカオGPに勝利したことや歴史的にからみても極めて異常な高額所得者であるM・シューマッハーと比較してゐることなど