大和但馬屋日記

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片渕監督×富野氏

この世界の片隅に片渕須直監督と富野由悠季氏の對談を聽いた。映畫は富野氏にも相當以上に刺さつた樣で、思想的に、あるいは表現技法的に心に引掛つたことを語る度に片渕監督が我意を得たりといつた貌をするのが印象的だつた。
ここからは自分の想像だけど、富野氏自身の監督作品にはどこかしらに核兵器かそれに類する大量破壊兵器が必ず登場し、人々はその扱ひを巡つて互ひに相爭ふことが多い。ロボットアニメであればそれ自體は當り前かもしれないが、こと富野監督作品となればそれは極まつて悲劇的であり、大きな力を得ることが即ち希望に繋がることは凡そ皆無である。
この世界の片隅に」と同じ時代を「リーンの翼」の樣な形でしか表現し得ないのが富野監督といふ才能であり、同じ時代を描いた「ローレライ」にカメオ出演もした富野氏であればこそ、「この世界の片隅に」に向けては「嫉妬しかない」といふ最大級の贊辭を贈ることもできたのだらうと想像した。
そして、廣いとはいへない業界の中で數十年もの間仕事をしてゐたにも關らず凡そ接點のなかつた二人の監督を遂に結び付けた作品の力にはただ舌を巻くばかりだ。