大和但馬屋日記

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ヅジャウノテキキ

隙あらば。
この世界の片隅に」の十九年七月二十九日、すずさんが幻の鷺を追つてグラマンの前に躍り出たその九日後の朝。夜間の空襲警報が解けて空が晴れたことを報せるラジオのアナウンサーが「管内上空にテキキなし」と發音してゐる、これは「テッキ」が正しい筈だとする意見を誰かが言つたらしいが、果してさうなのか。
この件については、福田恆存が「私の國語教室」の中で具體例を擧げて痛烈に批判してゐる。昭和二十一年に公示された「現代かなづかい」の内閣告示において、「敵艦=テキカン、敵機=テッキ」と讀むこととあつたらしく、その一貫性のない恣意的な決定を論難してゐるのである。流石に正當化のしやうもなかつたとみえて、そこから四十年後に公示された「現代仮名遣い」では態度が幾分曖昧なものとなつた。

6 この仮名遣いは,「ホオ・ホホ(頬)」「テキカク・テッカク(的確)」のような発音にゆれのある語について,その発音をどちらかに決めようとするものではない。

終戦直後には十分にリアリティのある例示であつたに違ひない「敵艦・敵機」が四十年を經て「的確」に變つたのは「平和」樣々であらうが、要はさういふことである。
敵機はテキキともテッキとも讀める。發音としてどちらが正しいといふものではなく、まして表記で一意に極めて良いものではない。一意に極めようとした昭和二十一年の内閣告示第三十三號は明示的に廢止されてゐる。敵機をテッキと讀むのが正しいとする根拠は、現代日本の社会一般には存在しない。何なら「テキキ」と書かれたものを「テッキ」と發音しても何ら問題ないのだ。言葉を讀むとはさういふものだ。
テキキかテッキかについてはこの通りだが、この話で重要なのは發音は表記に支配される必要はない、といふことだ。d:id:yms-zun:20170123でも書いたことだがもう一度。「假名遣は發音のルールではない」。
さて、その上で當時のアナウンサーがどう讀んだかについては判らないが、映畫で現職のアナウンサーに「テキキ」と讀む様に監督が指導したのであればさう讀まれた記録があつたのだらう。さうでなくアナウンサー任せの演技であれば「テッキ」と讀む方が致つて暜通と思はれるのだから。當時の、今とは較べ樣もない劣惡な放送設備にあつて、「テキ」といふ重要單語をはつきり發聲せず音便化したりはしないのではなからうか。推測ではあるがさう考へた方が合理的だ。ラジオとて軍隊においても情報傳達の手段の一つであつたのだから、尚更だ。