大和但馬屋日記

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相模原市障碍者施設での事件を受けて。


といふのを見て、いやさうぢやなくてねとTwitterに書散らしたのを推敲しつつ再掲。
元々は「差障りがある」といふ意味の「障碍」とぃふ言葉しかなくて、當用漢字表による漢字制限で「碍」の字が表外字とされたから、讀み方が同じで意味の全く異なる「害」の字に置換へられ、元來存在しなかつた惡い意味を帶びる様になつただけ。随つて、ただ元の「障碍」に戻せば何の問題もない話。「障害」といふ言葉にそのままの形であるべき理由がない。そして勿論、「障がい」などと平假名で書く必要もない。
絶緑に用ゐる道具の「碍子」の用字までが機械的に「害子」と置換へられはしなかつた様に、「碍」と「害」は全く意味の異なる別の字。「障害」といふ言葉は讀み方だけを根據に別の字を當てられ、それに引擦られて意味までもが後から捏造された言葉なのだから、本來の表記に戻すことで問題は解決する筈なのだ。
「碍」は「さまたげ」といふ意味で、碍げになることと害することは必ずしも同じではない。むしろ違ふ。例へば「障害」「傷害」「殺害」。容易に連想され得るこれらの言葉で、「障害」だけは明らかに出自も意味も違ふのに、「害」の字の為に區別がつきにくくなつてゐる。「加害」と「被害」がある様に、「害」には害なす者・される者といふ當時者が存在する。そして、「利害」と言ふ様に「害」には惡い意味しかない。一方「碍」はさまたげのある状態でしかないから、それを回避するなり克服するなりできる可能性があり、一方的に害を被る状態とは異ると言へる。
「障害」を「障がい」に置換へることに意味がないといふが、「障碍」を「障害」と置換へたことがそもそも意味がないどころか有害だつたのだ。